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シラユキヒメの白毛牝系とハクタイユーの白毛父系

  • 2023年10月05日(木) 12時00分
 2020年の阪神JF、2021年の桜花賞、そして2022年のヴィクトリアマイルを制した「純白の女王」ソダシの現役引退が発表された。

 美しい白毛のビジュアルと、凄みを感じさせる強さでファンを魅了しつづけた。

 父は芦毛のクロフネ、母は白毛のブチコ、母の父は鹿毛のキングカメハメハ。

 言わずと知れた、シラユキヒメを「牝祖」とする白毛一族から出た一頭である。シラユキヒメがノーザンファームで生まれたのは1996年4月4日。父は青鹿毛のサンデーサイレンス、母は鹿毛のウェイブウインド。そう、突然変異で白毛として誕生し、それからは毛色を子孫に遺伝させているのである。

 シラユキヒメ自身は9戦して未勝利。3着が1度あるだけで、あとは着外に終わっている。そこから枝葉を伸ばした一族のうち、ソダシと、先週スプリンターズSを制したママコチャの2頭がGI馬となり、ユキチャン、ハヤヤッコ、メイケイエールが重賞を勝っているのだから、競馬史に残る「名牝の一族」と言えよう。

 ソダシが繁殖牝馬となることで、この牝系から今後も「白くて強い馬」が出てくる可能性が高まった。目下のところ、シラユキヒメの曾孫の世代まで牝系がひろがっているのだが、曾孫で白毛はハウナニの2022(父ナダル)とウアラネージュの2022(父ミッキーアイル)の2頭だけ。ソダシの仔はシラユキヒメの曾孫の世代になるので、その数が増えていくことが期待できる。

 何世代先までこの牝系がつづき、そして、どのくらい白毛の活躍馬が出るか。このファミリーならではの将来が楽しみだ。

 もう少し白毛の話をつづけたい。日本で初めて白毛のサラブレッドとして登録されたのは、1979年5月28日に浦河の河野牧場で生まれた牡馬のハクタイユーだった。父は武邦彦騎手(当時)の手綱で日本ダービーを勝った黒鹿毛のロングエース。母は栗毛のホマレブル。

 この馬の誕生を受け、ハクタイユーが1歳になった80年の4月22日、日本軽種馬登録協会で、日本初の「毛色判定審議会」がひらかれた。そこで第8の毛色として新たに「白毛」が認定され、その第一号として、ハクタイユーが登録されたのである。

 両親の名から「ホマレエース」という血統名を持ち、その動向がスポーツ紙でたびたび報じられ、NHKで全国放送の特番が組まれるなど、「白馬くん」は競馬サークルの枠を越えて注目される人気者になった。

 ハクタイユーの馬主となったのは、平取・北島牧場の北嶋裕三氏だった。ハクタイユーは、白毛として認定された翌週、当時の天皇誕生日と吉日が重なった4月29日、河野牧場から北島牧場に移動した。

 北島牧場の前には観光バスが停まり、競走馬としてデビューする前、平取の義経神社に神馬(しんめ)として登場すると、大勢の参拝者とマスコミが集まった。馬名を公募すると3000通ものハガキが来た。CMの出演依頼があったほか、小林亜星氏が作曲を担当した「白馬くん」というレコードも売り出された。

 馬主の北嶋裕三氏の息子の北嶋佳和氏によると、裕三氏は獣医師で繁殖学を専門としていたので白毛の遺伝に興味を抱き、それが購入の動機になったという。また、裕三氏は、義経神社の神主でもあったので、神馬にしたいという思いもあったようだ。

 2歳になった1981年元旦のスポーツ紙で「夢を呼ぶサラブレッドたち」という大特集が組まれ、当歳時に1億8500万円の高値で競り落とされたハギノカムイオーと同等の扱いでハクタイユーが紹介された。名牝イットーの仔で、姉に桜花賞馬ハギノトップレディがいる「華麗なる一族」のハギノカムイオーと肩を並べる注目度だったのだ。

 ここまで読んでいただいておわかりのように、ユキチャンで火がつき、ソダシで燃え上がった「白毛フィーバー」は、ハクタイユーのそれにつづく、「第二次白毛フィーバー」なのである。

 ハクタイユーは、ゲート試験の合否まで報じられるなど、眩いスポットライトを浴びながら、1982年2月28日、中山芝1600mの新馬戦でデビューするも、9着。その後3戦したが、未勝利のまま引退した。

「どんなに成績が悪くても種牡馬にし、神馬としても大切にする」という北嶋裕三氏の言葉どおり、北島牧場で種牡馬となった。

 そうしてハクタイユーは白毛の血をつなぎ、1997年12月30日、産駒の牡馬ハクホウクンが、大井で白毛馬による日本初勝利を挙げた。

 ハクタイユーの父系は、サイアーラインとしては、仔のハクホウクン、孫のハクバノデンセツの3世代で途絶えている。しかし、ハクホウクン産駒の白毛の牝馬ハクバノイデンシ(門別・山本通則氏生産)が、2012年に白毛の牝馬ミスハクホウ(父アドマイヤジャパン)を産んだ。

 ミスハクホウはハクタイユーの血を引く最後の白毛の競走馬で、2017年の5月と8月に藤田菜七子騎手が盛岡で騎乗して注目されたが、同年限りで引退している。2歳下の全弟も白毛で、競走馬としてはデビューしなかったが、ハクバノスケという名で乗馬になった。また、ハクバノイデンシの全妹ハクホウリリーも白毛で、2013年に白毛の牝馬ダイヤビジュー(父ディープスカイ)を産んでいる。

 つまり、ハクタイユーの白毛の血も、シラユキヒメのファミリーライン同様、曾孫の世代までつながれているわけだ。白毛としての出現は、ハクタイユーのほうがシラユキヒメより17年早かったわけだが、白毛が4世代目へとつながれたのも、こちらの系統のほうが10年早かった、ということになる。しかし、現時点で種牡馬や繁殖牝馬にはなっているハクタイユーの子孫はいないので、この馬たちが最後の世代になると思われる。

 少しだけにするつもりが、長くなってしまった。これを書くために資料を引っくり返したら、2007年に発表された論文に「白毛は突然変異による出現ではないことが推察できる」「白毛馬の両親が非白毛である場合には、このS(サビノ)遺伝子をキャリアーしていることが推察される」といった記述があった。

 私はこれまで、シラユキヒメやハクタイユーのような1頭目(1世代目)の白毛の出現を「突然変異」で、2世代目以降を「遺伝」と表現してきたが、断定すべきではないのだろうか。交配データが4世代目におよび、個体数も増えた今なら、また違った考察になるのかもしれない。今後、白毛が5世代、6世代とつづいてデータが蓄積されることにより、遺伝に関する新たな発見があることにも期待したい。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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