スマートフォン版へ

30歳以上のジェネレーションギャップ

  • 2023年10月12日(木) 12時00分
 かつて厩務員だった人を栗東で取材し、東京に戻る新幹線のなかでこれを書いている。

 コロナ禍になってから、編集者やカメラマンと別々に移動することが多くなった。今回も、往路は各自別々のルートで関西に入り、栗東に近い草津駅で落ち合った。帰路は、カメラマンは現地に居残り、編集者と私は草津から京都に向かう琵琶湖線の車内でそれぞれ東京行きの新幹線のチケットをネットで買い、今は新幹線の別々の車両に乗っている。

 その編集者はH君という、身長が180cm以上ある、入社2年目の若手である。学生時代は登山に打ち込んでいたという、物静かな感じの青年だ。私とは30歳以上離れており、互いの感覚を理解し合うのはなかなか難しい。私だけが突き放しているわけではなく、彼のほうも、無理に私を理解しようとしている様子はない。

 それはそれで気楽なもので、「オグリキャップはなぜバブル期にアイドルになったのか」「トウメイからダイワスカーレットまで、37年も牝馬の有馬記念優勝馬が出なかったのはなぜか」といった話を、私は、彼が興味を抱くかどうかを考えずにすることができる。つまらないと思われて当然、という前提からスタートしているからだ。

 いつの時代も、若者にとって、オジサンというのは煙たい存在だ。特に私は、オジサンのなかでも話が長い。それを聞かされるH君としては、長い話のなかでひとつでも「へえ」と思えたり、ネタになりそうな話があれば儲け物だろう。

 それはいいのだが、さっき彼は、京都駅構内のコインロッカーにスーツケースを入れてあるので、それを取りに行ってから乗車する、と言っていた。私は、まっすぐホームに来たのに、駅弁を買っている最中に乗る新幹線が到着したほどギリギリだった。もしかしたら、彼は間に合わず、この新幹線に乗っていないのかもしれない。間に合ったかどうかSMSを送ったが、返事がない。明後日、別の取材で会うから、そのとき訊けばいいか。

 H君に話した、「オグリキャップはなぜバブル期にアイドルになったのか」については、本稿の読者にとっては言わずもがなかもしれない。バブル期というのは、家柄や学歴がイマイチでも、商才があれば成り上がってエリートたちを逆転できた時代で、オグリはまさにそれを体現していた。馬主でもある経営コンサルタントの堀紘一氏は「次はいつ来るのかわからない特殊な時代に現れた100年に一度の突然変異。だからこそ、オグリキャップは不世出の名馬なんです」と語った。オグリは、永遠に歴史に封印されているからこそ、どんなときでも私たちにとって特別な名馬でありつづけるのかもしれない。

「トウメイからダイワスカーレットまで、37年も牝馬の有馬記念優勝馬が出なかったのはなぜか」については、こうだ。最初から有馬記念を秋の最大目標に据えている陣営はほとんどなく、天皇賞(秋)やジャパンCなどを目標として走りつづけ、強い馬同士の消耗戦を勝ち抜いた、耐久力のある馬が勝ち負けになるのが有馬記念だった。だから、繊細な牝馬にとっては厳しかった。

「だった」とか「厳しかった」と過去形にしたのは、スカーレットよりあとは、2014年にジェンティルドンナ、2019年にリスグラシュー、2020年にクロノジェネシスと、牝馬の勝利が珍しくなくなっているからだ。

 なぜ増えたのか。ひとつは、近年は1戦ごとの消耗とストレスが大きくなり、強い馬でも、連戦を繰り返すと競馬に嫌気が差してしまうケースが多々見られるようになってきた。それは馬齢とともにレイジーな(ズブい)方向に行きがちな牡馬に多く、いつもイライラカリカリしている牝馬のほうが、そうしたストレスに左右されづらく、相対的に牝馬が強くなったから、というのがある。

 もうひとつは、ノーザンファーム天栄に代表される外厩などの施設と調教法の進化により、間隔をあけて使われる一流馬が多くなり、有馬記念が「耐久力勝負」ではなくなってきているからではないか。

 といった話をH君にしたところ、堀紘一さんのコメントに関しては「へえ」と興味ありげだった。若いのに、築50年のボロアパートでひとり暮らしをしていることを嬉しそうに話していたから、世代のなかでは浮いた感覚の持ち主なのかもしれない。

 と、ここまで書いたところで、H君からSMSで返信があった。私のメッセージに気づくのが遅くなったらしく(ホントかよ)、やはり、最初に取った新幹線には間に合わなかったようだ。ちゃんとキャンセルして1本あとののぞみに乗れたようなので、まあよかった。

 実は、今、私の競馬ミステリーシリーズを漫画化するために動いている。明日は、コンビをお願いしている漫画家さんと、ミステリーの編集者との打ち合わせがある。

 自分より30歳以上若い人にも「面白い」と言ってもらえるものをつくらなくては、先がない。

 それを面白いと感じるかどうかは個々の主観によるし、さらにジェネレーションギャップがあったとしても、私は「普遍のエンタテインメント」というものがあると思っている。同様に、競馬などスポーツのダイナミズムに心を震わせるかどうかも、若い兄ちゃんであろうが、オッサンであろうが、どこの国の人間であろうが、普遍的な震源となるものがあるはずだ。

 相手(読者)と互いに理解し合えなかったとしても、そこに少しでも筆が届いていてれば、受け入れられるはずだ──と信じるしかない。

 最後はまじめな話になった。オチがつかなくて申し訳ない気持ちだ。

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング