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武豊騎手と池添謙一騎手、そして熊沢重文元騎手のこと

  • 2023年11月02日(木) 12時00分
 先週木曜日の夕方、自宅兼事務所から比較的近いところで追突事故に遭った。

 私の車が信号待ちの列の最後尾にいて、そこに結構なスピードで白いプリウスが突っ込んできた。バックミラーに白い物体が大写しになってから、身構える時間がコンマ数秒か1秒くらいあったかもしれないが、ほとんど何もできないでいるうちに、ものすごい衝撃に襲われた。追突された私の車が前の軽自動車を押してしまい、その軽自動車がさらに前にいたアルファードに追突するという、計4台の事故となった。

 追突してきたプリウスは、ボンネットが「くの字」に曲がってエンジンルームが見える状態で、運転席と助手席のエアバッグが出るほどの壊れ方だった。

 私の車も、リアバンパーなどのウレタンパーツが割れて外れた。前部はナンバープレートが歪み、グリルの周りが割れたり、傷ついたりするなどしていたが、リアほどの壊れ方ではなかった。私の車が踏ん張って、かなりの衝撃を受け止めたようだ。

 コンソールに置いたスマホが衝撃で吹っ飛んで見つけ出すのに時間がかかり、110番するのが少し遅くなったが、前の車のドライバーが先に通報していたこともあり、警察は事故を把握していた。しかも「GPSによると現場は○○のようですが、お宅は前から何台目の車ですか」といったように、まるで見えているかのようだった。

 現場は国道15号線を川崎、横浜方面に向かって、環七を跨ぐ陸橋の上。1車線だけの下り坂で、地上10mほどのところだ。実況見分に来た警察官に聞いてわかったのだが、そこは大森警察署の目の前だった。下から陸橋を上ってこなければならないので、警察官が到着するまで結構時間がかかっていたが、現場と警察署上階との直線距離は20mもないくらいだった。先に「見えているかのようだった」と記したが、本当に、見えていたのだ。

 追突してきたドライバーは若い男性で、ナビを操作していたので、前をよく見ていなかったらしい。が、ちゃんとした人で、会社の車ということもあって任意保険にも入っており、その点はよかった。

 事故の様子をSNSにアップしたら、たくさんの人がお見舞いのコメントをくれた。そのなかに、サラブレッド血統センターの辻一郎さんからのコメントがあり、辻さんもそこを通っていたのだという。渋滞しているなあ、と思ったら玉突きだったか、と、横目で通りすぎたとのこと。笑うところではないのかもしれないが、笑ってしまった。

 4日ほど経っても首に痛みがあったので病院に行き、レントゲンを撮ったら、頸椎捻挫との診断で、コルセットと薬を出してもらった。まだ患部を押したり、大きく首を回したりすると痛いが、それほど深刻ではない。

 お見舞いのお言葉をくださったみなさま、ご心配おかけしてすみませんでした。

 私の怪我はたいしたことはないのだが、先週日曜日の第5レース終了後、馬に右太ももを蹴られた武豊騎手のほうが心配だ。骨に異常はなく、筋挫傷で、自身の公式サイトに「この程度で済んだ」と記すくらいの怪我だったのは、不幸中の幸いだった。見舞いのメッセージを送ったら、彼にしては早いタイミングで返信が来て、自分のことより、先日胆管がんであることを公表した伊集院静さんのことを心配していた。そして、「良くなるように祈りましょう」と締めくくっていた。

 直木賞作家の伊集院さんは、武騎手が若いころから「尊敬する人」として名を挙げていた人で、武夫妻の仲人でもある。それにしても、こんな苦しいときに、自分のことより人の身を案ずる武騎手は、あらためてさすがだなと思った。

 私も、伊集院さんが、強靱な体力と精神力でこの病を乗り越えてくれると信じている。伊集院さんの作品を読んだことのある人もない人も、私たちと一緒に伊集院さんの回復を祈ってくれると嬉しい。

 今週末、アメリカ西海岸のサンタアニタパーク競馬場で行われるBCフィリー&メアスプリントにメイケイエールが参戦し、主戦の池添謙一騎手が手綱をとる。池添騎手は、20年以上前、2000年の年末から2001年の年明けにかけて、武騎手に同行する形で、鹿戸雄一調教師、千田輝彦調教師、松田大作騎手らとともにアメリカのサンタアニタパーク競馬場に遠征したことがあった。レースでの騎乗馬はまったく決まっておらず、調教にも乗れるかどうかわからなかったのだが、それでも、普段とは異なる環境に身を置くことによって、自身のスキルを高めようとしたのだろう。ほとんどのレースが少頭数で、上位10人ほどの騎手がレギュラーのようにガッチリ決まっている同地では、武騎手でさえ騎乗馬を確保するのが大変だ。残念ながら、池添騎手は、レースでの騎乗は叶わなかった。それでも、調教での騎乗が決まったことを知ると「よっしゃー! 」とガッツポーズをした。この貪欲さと、競馬への真っ直ぐな思いが、あれだけ勝つことの原動力なのだろうな、と、こっちまで嬉しくなったことを思い出す。

 本番前の現地での騎乗も決まったらしい。すべてをぶつけて、頑張ってほしい。

 武騎手より競馬学校騎手課程で1期上の熊沢重文騎手が11月11日付で引退する。武騎手が「あの人はズブい馬を半マイルからビッシリ追っても腰が浮かない体力がある」とか「障害の着地の安定ぶりがすごくて、見ていて落ちる感じがまったくしない」と絶賛していたほどの、素晴らしい乗り手だった。

 頸椎の骨折が治り切らないため、引退を決断したという。これからは「熊沢重文元騎手」と書かなければならないのは寂しいが、じっくり怪我を治して、またどこかで元気な姿を見せてほしい。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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