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ドバイ・インターナショナル・カーニヴァル開幕

  • 2008年01月22日(火) 23時50分
 1月17日(木曜日)、08年のドバイ・インターナショナル・レーシング・カーニヴァルが開幕。オープニングデーのメインレースとして、ドバイワールドCへ向けたステップレースのG3マクトゥーム・チャレンジ・ラウンド1が、ナドアルシバ競馬場のダート1600mを舞台に行われた。

 今年のカーニヴァルの開幕は、波瀾含みだった。先週になってドバイを、開催が無事出来るかどうかが危ぶまれるほどの大雨が襲ったのである。「砂漠の国に雨?」と驚かれる読者も多いと思うが、毎年のように取材に出向いてる者の経験でいうと、ドバイにおける降雨は必ずしも珍しいものではない。古くは荒天によって第2回ドバイWCの開催が延期になったこともあったし、数年前にも追いきり予定日の朝が猛烈な風雨となって、現地入りしていた日本馬がこぞって角馬場調整に切り換えたこともあった。

 今年のカーニヴァル初日は、延期の憂き目こそ免れたものの、芝コースは使用不能となり、芝で予定されていた3レースはダートに走路を変更して催された。

 注目のマクトゥーム・チャレンジ・ラウンド1は、ブラジルからの遠征馬ハッピーボーイが9馬身差で圧勝。2着にもフランス調教のブラジル産馬グロリアデキャンペオが入り、「ブラジル」の上位独占となった。

 勝ったハッピーボーイは、ブラジル生まれの4歳牡馬(北半球の年齢の数え方だと5歳牡馬)。3歳春にデビューしていきなり3連勝を飾った素質馬で、3歳秋のG2ピラティニンガ大賞で重賞初制覇。シーズン末のG1サンパウロ大賞は4着だった。4歳2戦目となった昨年11月のG3コーリダ・デ・サンパウロ賞を制した後、ドバイ遠征を決定。マクトゥーム・チャレンジ・ラウンド1が、ドバイにおける緒戦だった。

 ブラジルでは、重賞初制覇を飾ったピラティニンガ大賞を含め、ダートでは5戦4勝。芝よりもダートの方により高い適性があることから決めたドバイ遠征だったが、陣営の目論見がものの見事が当たったわけである。

 ここは距離1600mのレースだったが、ブラジル時代は2000m以上を主戦場としており、レース後陣営からは当然のように、「この後はドバイワールドCを目指す」とのコメントが聞かれた。あるいは、馬の状態を見ながら、本番前にもう1叩きすることも考慮しているようだ。

 2着となったグロリアデキャンペオも、勝ち馬と同じブラジル生まれの4歳牡馬(北半球の年齢の数え方だと5歳牡馬)。サンパウロを本拠地とした勝ち馬と異なり、グロリアデキャンペオの本拠地はリオデジャネイロで、4歳春まで8戦し、2つのG3を含めて5勝。G1共和国大統領大賞3着などの成績を残した後、フランスに移籍し、欧州緒戦となった昨年10月のG2ダニエルヴィルデンシュタイン賞は6着だった。

 勝ち馬同様、この馬もブラジル時代はダート3戦3勝の実績を残しており、ここへは、フランスのパスカル・バリー厩舎の所属馬として遠征してきていた。勝ち馬と違い、ブラジル時代のこの馬はマイル中心に使われており、目標はゴドルフィンマイルになるものと見られる。

 なお、ドバイワールドC関連のニュースでは、ゴドルフィンを代表してドバイワールドC出走が噂されていたラモンティが、ワールドCではなく、芝1777mのG1ドバイデューティーフリーを目指す公算が強くなったと伝えられている。ワールドCにおけるゴドルフィン代表は、昨年10月にニューマーケットで行われたG1チャンピオンSの勝ち馬リテラトになる模様だ。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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