世界の競馬/合田直弘

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女性調教師デブラ・ハマー師の営む小さな厩舎の挑戦

2017年01月18日(水)12時00分

注目数:11人


障害界最高の祭典でトゥビーフェアがどんな競馬をするか

 欧州障害シーズンのハイライトとなるチェルトナムフェスティヴァルの開催まで残り2か月を切った中、管理頭数8頭、従業員2名という小さな厩舎の挑戦が話題となっている。

 1月14日(土曜日)に、ロンドンの北西140キロほどの地点にあるワーウィック競馬場で行われた開催の、第4競走に組まれたクラス2のハンデ戦、パーテンプスネットワーク・ハンディキャップハードル(芝26F)を制したトゥビーフェア(セ7、父セントラルパーク)と、同馬を管理する女性調教師デブラ・ハマーさんが、メディアから注目を集めるには理由がある。

 1992年に開業したハマー師にとって、14日にトゥビーフェアで得た勝利は、通算で79勝目だった。すなわち、開業から25年を経過して79勝ということは、年間に均すと3勝余り。重賞を制した経験など1度もなく、チェルトナムフェスティヴァルに管理馬を送り出したことも1度もないという、ピラミッドに例えれば底辺近くにいるのがハマー師の営む厩舎であった。

 夫のポールとともに営む厩舎の、現在の管理頭数は8頭。夫婦以外に従業員は2名という、小さな所帯である。14日は、従業員の一人が休みをとったため、デブラ・ハマー調教師は厩舎で作業に勤しまねばならず、トゥビーフェアが走ったワーウィックに臨場したのは、夫のポールだった。

 ルーシー・ジョーンズ厩舎に所属し、ナショナルハントフラット(障害馬用の平地競走)で2戦0勝、ハードルの未勝利クラスで4戦0勝という成績だったトゥビーフェアが、デブラ・ハマー厩舎に転厩してきたのは、2015年春のことだった。トゥビーフェアは体高167.6センチと大柄で、ハードルよりはむしろ、より大きな障害を跳ぶスティープルチェイスに向いた馬だろうというのが、ハマー師が抱いた第一印象だった。障害のスクーリングを行ったところ、飛越はとても綺麗で、この時、まずは足慣らしのためにハードル戦を1回使った後、スティープルチェイスのレースを走らせようという、おおまかな計画が立てられている。

 転厩初戦となったのが、15年6月6日にウォーセスターで行われたハードルの未勝利戦(芝27F)で、トゥビーフェアはこのレースを4.1/2馬身差で快勝。デビュー7戦目にして初勝利を挙げた。そのレース振りがあまりにも鮮やかだったことで、当初の予定を変更し、次走もハードルを使ったところ、そこも連勝。適性がそれほど高いのならと、その後もハードルを使い続けたところ、どのレースでも勝利を収め、1月14日のワーウィックのハンデ戦における勝利が、6連勝目となったのである。

 6月6日に初勝利を挙げた際には81だったレイティングが、14日のレースを勝った段階で126と、この半年余りの間に45ポンドもジャンプアップ。英語でよく使う表現を用いれば、スカイロケットのように急上昇しているのがトゥビーフェアなのだ。

 この季節を迎えて、ある程度の能力がある障害馬を持つ陣営ならば、誰もが考えるのが、今年は3月14日から17日が開催日となっている、チェルトナムのフェスティヴァル開催だ。

 14日のレースが終わった段階でトゥビーフェアは、チェルトナムフェスティヴァル4日目(3月17日)の第2競走に組まれた、パーテンプス・ファイナルハンディキャップハードル(芝24F)へ向けた前売りで、大手ブックメーカーのウィリアムヒルがオッズ21倍の5番人気、他のブックメーカーも概ね26倍のオッズを掲げ11〜12番人気に支持している。デブラ・ハマー調教師は、6連勝目を飾ったレースの翌日、今後も順調に調教がつめるようなら、次走は3月17日のファイナルハンディキャップになると表明。開業25年目にして初めての、チェルトナムフェスティヴァル出走が現実のものとなろうとしている。

 そして、その日を心待ちにしているのは、トゥビーフェアの馬主も同様だ。同馬を所有するダウンザキー・クラブとは、18人の競馬好きが組織したパートナーシップなのだ。18人のクラブメンバーとハマー調教師が、障害界最高の祭典でどのような1日を過ごし、トゥビーフェアがどんな競馬をするか。今年のチェルトナムフェスティヴァルにおける、見どころの1つとなりそうだ。
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コラムニストプロフィール

合田直弘
合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。