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ノースヒルズ開場40周年記念式典にて

  • 2024年05月16日(木) 12時00分
 ヴィクトリアマイルの翌日、ノースヒルズ開場40周年記念式典に出席してきた。

 当日の朝、羽田から空路で千歳に行き、空港からバスでノースヒルズ新冠本場に向かった。あいにくの空模様で雨が降りつづいていたが、到着したときには傘をさそうか迷う程度の小雨になっていた。

 ノースヒルズ事務所前の駐車場と車寄せにステージといくつものテーブルが置かれ、出席者がそれぞれのテーブルを覆うテントの下で雨をよけていた。そこにいたのは、前田幸治代表をはじめとするチーム・ノースヒルズにゆかりのある騎手、調教師、馬主、生産者、マスコミ関係者など500人ほどだった。

 当サイトのニュースなどで、様子をご存知の方も多いと思う。

 福原直英アナが司会をつとめ、最初に前田代表が挨拶をはじめると、それに合わせたように雨が弱まった。

 前田代表が牧場を経営することにお父様が反対していたことや、勝負服に十字たすきをあしらうのは「バッテン」だから縁起が悪いと言われたエピソードなどを代表がユーモアをまじえて紹介し、話し終えたら急に雨足が強くなった。

 私が気づいた出席者を敬称略・順不同でざっと紹介すると、騎手では武豊、岩田康誠・望来、戸崎圭太、池添謙一、ミルコ・デムーロ、川田将雅、藤岡佑介、石橋脩、三浦皇成、横山和生・武史、坂井瑠星、永島まなみ、今村聖奈。調教師では、萩原清、佐々木晶三、森秀行、矢作芳人、鹿戸雄一、松永幹夫、池江泰寿、蛯名正義、池上昌和、角田晃一、飯田祐史、福永祐一、大竹正博、木村哲也、和田正一郎、渡辺薫彦、田中博康。

 もっと紹介するつもりだったが、長くなるのでこのくらいにしておく。ビッグネームが揃ったことはおわかりいただけるだろう。

 実演ビュッフェのスタイルで、ローストビーフ、カレーライス、串カツ、たこ焼き、そばなどと飲み物が振る舞われ、どれも有名店のものだけあって、美味だった。

 この本場で繁殖牝馬と当歳馬のお披露目が行われたあと、中期育成牧場ノースヒルズ清畠に移動し、今度は1歳馬が紹介された。2020年に無敗の三冠馬となったコントレイルがここノースヒルズ清畠の1期生だったことはつとに知られている。

 2026年には、ノースヒルズ清畠II(セカンド)が開場する予定だという。

 前田代表は、1984年、ノースヒルズの前身であるマエコウファームを開場した。現在のノースヒルズでは繁殖牝馬80頭と離乳前の当歳馬65頭が繋養されている。当歳馬は生後4、5カ月でノースヒルズ清畠に移動し、1歳の夏ごろ、2003年に開場した調教施設である大山ヒルズで馴致・育成され、競走馬を目指す。ノースヒルズ(生産)、ノースヒルズ清畠(中期育成)、大山ヒルズ(調教育成)を連動させた三元育成によって、世界に通用する強い馬づくりを実践しているのだ。

 私が前田代表と初めて会ったのは、1991年の12月、松永調教師が騎手時代、香港に遠征したときのことだった。代表はすでに事業で成功しており、馬主として名を知られる存在だったが、当時経営していたマエコウファームが、その後、キズナ、ワンアンドオンリー、そしてコントレイルと3頭のダービー馬を送り出すまでになるとは、想像すらできなかった。

 テントの下でローストビーフを口に運びながら、33年前、前田代表や、松永師の師匠である山本正司元調教師らと香港のレストランで同じテーブルを囲んだときのことを思い出すと、不思議な感じがした。

 書きながら思い出したのだが、私は香港に出発する前夜、生産者の藤本直弘さんらと一緒に、山本元調教師のお宅に泊めてもらった。山本先生は優しい人だった。自宅にお邪魔する前、近くの寿司屋でご馳走になった。

 当時、山本先生はそれほど頻繁に海外に出ていたわけではなかった。居間のビデオで洋画を見ながら、「持ってく金、このくらいでええやろか」とポーチに入ったお金を見せられて、若かった私はその額に驚いた。その後、何度か会ってからなら「そんなに必要はありません」と言えたのだが、ほぼ初対面だったそのときは、何も言えなかった。

 前田代表と囲んだレストランのテーブルで私の隣になった山本先生は、ワールドスーパージョッキーズシリーズに、なぜ田原成貴さんが選ばれないのかと、先生には珍しく、強い口調で言っていた。「日本で一番馬を動かせるのは成貴やで」と言ったときの表情は、今でも覚えている。

 ここまで書いて、そろそろまとめようかと思ったとき、横浜にいる義母から、風邪っぽいので近くの町医者に行ったらコロナだった、と連絡があった。食料品などを買い込み、車で横浜の家に向かった。玄関で義母から処方箋を受け取って薬局に行き、ゾコーバなどを出してもらった。さらに、義母が財布を忘れて病院に行ったので未払いになっていた診療費を払ってきた。

 そのため、本稿の入稿が遅くなって、担当編集者に迷惑をかけてしまった。

 義母は、幸い、熱はそれほど上がらず、咳が少し出る程度の軽症なのでよかったが、そうしたことを一生懸命家人と私に話そうとするので、「ともかく休んでください」と、うつされないうちに帰ってきた。

 まだまだコロナはある。みなさんも、くれぐれも気をつけて、ご自愛ください。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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