どこか心の片隅で、いつも思っている。運を掴めばいいことがあると。成功の秘訣は、何といってもまず心掛けが第一なのだが、どうもそれだけでなく、運の有る無しが大きいようだ。
成功と失敗をテーマにすると、様々なことわざが浮かんでくるが、そこに登場するのは、油断をするなと戒めているようなものが多いようにも思う。
“才覚の花散り、上手の手から水が漏る、善く泳ぐ者は溺る、善く騎(の)る者は馬から堕(お)つ、大いに走るものは多く躓(つまず)く”などなど。いくら才覚があっても、それだけではないと言っているのだ。もっとも、大した才覚もないのだから、少しぐらい風向きがよくても注意しろと受け取るべきなのだろう。よくあることだが、運が良く、いきなり試しと買った馬券が当たることがある。ところがこれきりではないかと嫌な予感。これが的中するのだ。悪い方へ、悪い方へと導かれていき、やはりそうだったと観念している。なにもそう思わなくいてもいいのに、こういう予感だけは的中するのだ。
ここで登場するのが、根気の根。つまりねばりだ。“失敗は成功のもと”という気分になれたらしめたもの。自分の場合は、“損した港に船つなげ”と執念をかき立てている。
不思議なもので、運は、こういう状況の中で顔を見せることが多いように思う。
誰だって勝利者になりたくて競馬場に行っている。あの中でもまれていると、自身がよく見えてくる。周囲に人の顔があることで、戦っている自分を意識できるのだ。そこは修行の場であり、決して楽しいだけではない。
だが、普段手にすることのできない幸運を掴むことがある。それも、短時間にだ。それも、多勢の人の中、群集の一人となっているからこそのものだ。どれだけ自分が荒波に強いか、競馬場にいればよく自分を知ることができる。鍛錬の場で、運を掴む修行を。
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