気合いを入れてスタートする競馬の朝。始まればレースに気を奪われ、一喜一憂する時間が続く。成果が上がれば愉快にもなるが、普通は、ダメージをなにかに転化して気を取り直し、次のチャンスを伺っているのだ。
つれづれなるままに日暮らしと言えば、することがなく所在ないままに一日中といったニュアンスだが、競馬であまりに大きなダメージを受けると、その日の終盤は、そんな日送りをしてきたような錯覚に陥ることがある。今日という日はなんだったのかと。心にうつりゆくのは由無し事ばかり、これではつまらない。では、つれづれなるままなる気分にならないためには、どうであればいいのか。
これははっきりしている。そこはかとなくといった態度、それがいけない。何となく競馬に立ち向かっていたのでは、いい結果がついて来ない。そんな簡単なものではないことは承知しているとおり。どこか気が緩んでいるとそうなってしまうのだ。たから、獲物を狙う獣になってレースに立ち向かうぐらいの迫力がなくては、これがまず第一。
しかし、それだけでは息苦しい。気を入れるにしても、どう攻めるかをはっきりさせておかなくては。例えば、秋華賞を11番人気で勝利したブラックエンブレム。事前にどう考えていたらこの馬に辿り着けただろうか。
陣営の勝利への執念は、長期の栗東滞在を選択したところにあった。美浦を出て栗東で調整する道を選んだブラックエンブレムには、本番での好枠、さらには良馬場という好条件も持っていて、外枠を引いた実績馬たちとはまったく別の戦い方ができていた。
終わった後だからこれだけのことが言えるのだが、その壁を乗り越えないことには、競馬で大きな運を引き寄せることは叶わない。少なくとも勝因がはっきりしているのだから。つれづれなるままに日暮らしは、腹いっぱいになってからゆっくり味わえばいいので、そのための事前の心構えをどうにか。