あるのは悩みだけ、これが運命だ、こう言い切ってしまえば楽だ。大なり小なり、悩みのない生活なんてある筈はないし、むしろそれを励みとした者に光明が差すのだとは、様々な事柄が教えている。この励みを、楽しみとか欲望に置き換えた姿を、正に競馬の中に見い出すことができる。だから、競馬をやり続けてきた者には、一種人生を割り切って突き進んできたという自負みたいなものがあるのだ。
極端に負けず嫌いな者は、競馬には向かないと言われ続けてきた。負け相撲の小股となるが如しで負け惜しみが強いから、周囲に不快な思いばかりさせてしまう。話に同調する者がいなくなれば、当然面白くない。やがてその場を立ち去る運命が待っている。競馬の持っているものは、実に奥が深い。
ポルトフィーノがスタートで落馬し、カラ馬が先頭でゴールするという珍事を前に、私の周辺では、あまり大騒ぎする者はいなかった。これも競馬なのだと知っているからだ。
それよりも、希望が一瞬にして絶望に変わってしまった陣営の落胆はさぞかしと、そちらに思いは移ってしまう。後ろ脚で前脚を引っ掛けてしまう、どういう精神状態でそうなったのか、偶然としか言いようがない。思いがけず起きてしまうこと、生活の中にいくらでもある。それがはっきり見えてしまうのが競馬の一面でもある。
思えばいくらでもある不安、しかし、それを覆いつくしてしまう希望、夢。それがあるから突き進んでいける。競馬と付き合っていくうちに、場面場面で心の切り換えが上手になっていくような気がする。その根底にあるのが、これが運命だと割り切る心構えだ。
いつもうれしそうに森や野はらに坐っているようなもので、そこにある自然を愛すればこその心境を競馬にも抱いている、そんな気がしてならない。ただ、互いに風邪をひかないように気をつけているだけなのだ。
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