スタンドの大観衆の声は、実に正直だと思う。双眼鏡で馬群を追いレースをしゃべっているとき、クライマックスを演出してくれるのがその声援なのだが、その声は時折、レース実況をも後押ししてくれる。
スタンドがどう盛り上がってくれるかは、実況を担当する者にとり、大きな意味を持っているのだ。
GI馬8頭が出走し、三代に渡るダービー馬の対決という話題に夢がふくらんだジャパンCだったが、結果はともかく、そのクライマックスはあまりにも期待に反するものだった。
マツリダゴッホが動き、外からディープスカイが、そしてウオッカもメイショウサムソンも迫る気配。誰しもが、さすが強豪同士の決着をと期待した瞬間があったと思う。
しかし、あっという間に、スクリーンヒーローの姿が目に飛び込み、完全に他を圧していた。これでは、どう応援の声を出そうともくつがえることはない。ただ、ゴールをめざす伏兵の走る姿を追うのみで、ダービー馬たちの敗戦を黙って認めるしかない。こうなったら諦めるのみだ。
この大観衆の意思は、はっきりこの身に届いていた。どう叫んでも、スクリーンヒーローの勝利は間違いなく、そうしゃべるしかない。スタンドの声は、ちっとも上がってこない。みんなが落胆しているのか。なまじ期待が大きかっただけに、その落差はひどいことになっている。とっさにそう感じていた。
これに類したことは、日常生活でもしばしばあるのだが、競馬場のそれは、あまりにもあっけなくやってくる。まるで、日々の生活がこの一瞬に凝縮されているようなものだ。
競馬場が受けた衝撃は、日常生活に戻ったときにどう影響を与えていくのだろうか、ふとそんなところに意識がとんでいた。きっと、それにくらべたら日々の事ごとは、大したことではないと思えるから不思議だ。
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