もっと心を養うようにしなければ、競馬は時折そう感じさせる。レースが終わった瞬間に訪れる心の変化。それをどう自覚するか、心を養う修行をするとすれば、そこではないかと思う。この心身にこそ着眼すべきなのだと教えてくれているのだ。
心を養う妨げになる感情、怒り、憎悪、嫉妬、傲慢などは様々だが、競馬は、分かりやすくそれらを見せている。レースが終わって自分がどうなっているか、少しの変化でもいいからつかんでみれば、修行の第一歩を踏み出したことになる。
負の感情は他を傷つけるのだが、それによって自分を正当化しようとしている。戦闘的で、ささやかなうっぷん晴らしになっていると思うのはいいのだが、そればかりでは心を養うことにはならない。
レースは、その多くが自分の都合に合った結果にはならない。その不都合から生じる怒りは、よく経験することだが、だからと言ってどうにかなるものでもない。自分の心に収めるしかないのに、当り散らすのだ。
これに他人が関わるとき、憎悪とか嫉妬が生じて、さらにどうしようもなくなっていく。このとき、果たして自らの心身に目を向けることができるかどうか。ここでひと踏ん張りするのが修行なのだが。
修行が足りないと、エスカレートして傲慢になることがある。これも始末が悪い。とにかく聞く耳を持たないのだから。上から物申す態度は、そうした心から生まれる。
たかが競馬でも、されど競馬なのである。
多くの場合は、楽しんだり感動したりしているのだが、一歩間違うと、そうした負の部分に翻弄されるのも競馬なのだから、楽しむといっても容易でない。少しずつでもいいから、心をどうやって養っていくか。その方向に自分を仕向けていくことで、どんな事態にもぶれない強さを身につけたい。どうせ競馬とつき合うのなら、優雅な境地にありたいから。
毎週、3歳馬を格付け!丹下日出夫の「番付」がnetkeibaで復活! 参加無料!商品総額50万円!netkeibaPOG大会「POGダービー」が開幕!