信じて待つ、レースに臨むとき、この強い言葉をどれほどこの心に言い聞かせてきたことか。迷いを断つには、とにかくこれしかない。競馬は、ひとつひとつのレース毎にサイを投げているようなものだから、この馬と決めたからには、あとは信じて待つしかない。
この信じて待つは、覚悟をするに等しいのだから、どんな結果になろうとも受け入れるしかない。だが、凡人は、そうはいかない。
ふと、これまでの自分を振り返ってしまうのだ。どれほど信じ続けてきたのだろうか、そこに、簡単には割り切れない、待ちきれない自分がいるのだ。
待ちきれないが、やがて信じきれないに通じてしまうと、競馬は厄介なものになる。堂々巡りの世界に迷い込んでいく。
競馬は、人生に相通じるものがあると言われるが、その点、人生よりは気軽に考えていいところがある。それは、信じた通りの結果を迎えることが、たまにあるからだ。例えそれが偶然であっても、信じたのだからゆるぎない。その充足感こそ、競馬を愛する原動力になる。かくして、信じて待つを信じる力が漲ってくるのだ。
かくの如く、信じて待つの覚悟が報いられることで、大袈裟に言えば、生きる力も出てくるのだから、競馬から得られるものは無視できない。信じきれない、待ちきれないと心が攻め立てられても、競馬なら、いつかはどうにかなると思えるからいい。その気軽さが、かえって幸運を呼び込むことがあるのも事実だ。競馬は、理屈でどうにかなるとは思えない。結論を出すまでのプロセスは楽しいが、最後のところは、運があるかどうかだと思うと多くは感じている。とにかく、気軽でいいのだ。その気軽さは、人生を考えるときにはない。ずっと重苦しい。ただ、それでも言えることがある。信じて待つ、それだ。つまり、覚悟するかどうかだ。どうだろう、信じて覚悟する訓練が競馬でできると考えては。
毎週、3歳馬を格付け!丹下日出夫の「番付」がnetkeibaで復活! 参加無料!商品総額50万円!netkeibaPOG大会「POGダービー」が開幕!