だいたいが愚かで怠けてばかりいるので、わずかの時間を惜しむことは少ない。刹那は無意識のうちに過ぎている有様だから、これでは一生の終わりはたちまちやってくる。
永井路子さんの「徒然草」現代語訳のくだりに、こんなのがあった。一瞬を惜しめ、こう述べているのだが、仏道の修行をするものは、その一瞬を空しく過ごすことを惜しみ、遠い将来がどうかなどとは考える必要がないとも述べていた。
凡人は、全くの逆で、先々の心配はするのだが、どれほど今日一日を大切に考えているだろうか。一日のうち、食事、睡眠、おしゃべり、歩いたりなど、やむを得ないことで多くの時間をつぶしている。これでは、残りの時間の取り組み方が大きな意味をもつのは当然だ。
ここまで自分を追いつめておけば、競馬への対応がしっかりする。競馬は、時間だけではなくお金も絡む。この命の次に大切なものを扱うのだから、とても疎かにはできないのだ。遊びではないかと気を緩めていると、自分の方が遊ばれてしまう。どれほどその時間が充実しているか、レースのその一瞬一瞬にどう取り組むかでそれは決まる。雑事にかまけて適当にしていると、それだけのことしかない。
レースの正解を導くのは簡単ではないが、そこまでの時間の費やし方で、結果如何に関わらず、得るものは大きい。それが、競馬との正しいつき合い方なのであって、立派な修行となっていく。
もし、そこまで徹底していないのなら、単に時間を浪費しているに過ぎないと心して欲しい。それでは、人生の真理には近づけないことになるではないかと。
どうだろう、雑念を払い道を求めるひとときを競馬の中に見い出してみては。だいたいが愚かで怠けてばかりいるのだから、せめて競馬のときぐらいはと、思っている。
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