「情けは人のためならず」と言ったら、競馬ではどう考えられるだろう。この諺は、「世の中は持ちつ持たれつなのだから、今人を助けておけば、いつか苦しい時に助けてもらえるものだ」という意味だが、そう解釈していないことの方が多いような気がする。本来あった意味から離れ、「情けをかけると相手のためにならない」と言った方が、今の世の中ではぴったりくるのではないか。
この諺は、競馬に当てはめると、どちらの解釈も成り立つ。いくら価値観が多様化したと言っても、競馬の中では別だ。
自己中心的でわがままを押し通してしまう者でも、競馬という拠り所があるので、互いの立場に心を寄せ合い、痛みを分かち合おうとする。その思いが、棘々したものを薄めてくれるので、なんとも居心地がいいのだ。
競馬場は、人生の縮図の中にいるようなものとよく言われる。確かにそうだ。しかも、人の心がわかりやすく、きちんとつかめるのだ。これは、周囲から自分を見ても同じだ。
このわかりやすいというのが、実は世の中にとって必要なことで、そうでないから、ぎくしゃくしてしまう。人を許すことができる心を、どれほど持っているか。その奥行きの有る無しが、居心地の良し悪しと大いに関係があるのだと、こんなことはみんなが知っている。なのにそうならない、そうなっていないのが、この世の中だ。
競馬場にいるときの自在な自分、何が起ころうとも受けとめる、そうしなければ次に進めない状況、そういうことが何度もやってくる。しかし、それは自分だけではない。ちょっとぐらいいいことがあっても、だいたいが瞬間にすぎないのだ。結局は、みんな同じ思いをして、そんな中にあっても楽しもうと自分を鼓舞している。この同じだという思いこそが、「情けは人のためならず」のふたつの解釈を、見事にやってのけているのだと、そうは思えないだろうか。