他人と争わず、自分を抑えて人に従い、自分のことは後に、人のことは先にするのが一番いいと、徒然草では述懐している。
とかく人間は、自分の心さえ楽しくなればいいと思いがちだが、これは人の道に背いている。勝負事が好きだと、つい道に背いてひとりだけ喜んでいることがあるが、これは気をつけなければならないのだ。
これは、競馬だって例外ではない。
考えたとおりに収まると、自分の機知をひけらかしていい気になるのだが、これは礼儀にはずれている。こうした戯れは、友人関係を暗くしてしまう。ちょっと身の回りを見ても、こうした嫌味な人間はいるものだ。
いや、自分もそうしているかもしれない。
なんでも勝つにこしたことはないし、勝てば喜ぶのは当たり前。嬉しいことは他人に言ってみたくなる。ところが、その相手も一緒にいい思いをしたのなら手を取り合うのだが、そんなことは滅多にない。残念無念の思いをしているのだ。
だからと言って、その時は黙っていて、負けたときにそれを言って喜ばすのも、面白くない。これは、みんな同じなのだ。かくの如く、競馬とは厄介だ。その厄介なものに関わっているのだから、それこそ、自分の心との戦いを続けているようなもの。これは、正に修行を続けているのと同じこと。少しずつこの人間ができてきたように思えるのだ。
では、それはどういうことかと考えてみた。それは、如何にしてこの心を満足させるかだけに集中しているからではないかと思う。
物事の道理、この場合は、自慢したりひけらかしたりするのはよくないということを十二分に理解する。そのことを前提に、ひとつ心がけるべきものを決めていくのだ。競馬には、それに取り組む知恵とか着眼すべき点があり、それを見つけた者に道が開ける。
巧くいったら、この自分を褒めてやればいいではないか。競馬は孤独な遊びなのだ。
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