こんな言葉がある。「勝とうと思って打ってはいけない。負けまいと覚悟して打つべきだ。どの手だと早く負けるかと考え、その手を使わず、一目でも遅く負ける手を使うのがいい」と。双六の達人が語った必勝法として伝えられているものだ。双六と言っても現在のものとはやり方が違うのだが、言わんとしていることはわかる。
その道の達人の教えは、他の道にも通じるものがあるということだ。
競馬で言えば、長距離戦で考えるのがわかりやすい。勝とうと思いすぎると、自分のペースでなくなり折り合いを欠く。あくまでも自分の馬の最大限の力を出し切ることに集中すべきなのだから、その障害となるものを排除することを念頭におく。鞍上の気持ちが高ぶりすぎると、それは忽ち鞍下に影響する。長丁場ほど大きい。
騎者と乗馬とが一体になった様子を昔の人は、「鞍上人無く鞍下馬無し」と表現した。これは馬に乗る者の心得として伝えられている。
騎乗者の上手下手を言うとき、どれだけ乗りこなせるかで判断することが多い。厳密に述べれば、勝つか負けるかではない。馬にも能力があるから、如何なる場合も最大限にその力を引き出しているかどうかだ。
騎乗者の腕と馬の力の、レースにあらわれる比率を、昔から人三馬七と言ってきた。人の力が三分で馬の力が占める割合が七分というのだが、これは大事な捉え方だ。
感情的になりすぎるきらいのある解説者はよく、その辺の按配を忘れて騎乗者を語る発言をするが、いくら述べやすいからと言って、少し配慮が足りないといつも思っている。
結果のすべてが騎乗者のせいであるはずがないのに、馬を知らないと、ついそっちの方へいってしまうのであろう。
もっとも、大レースほど緊張するから、その比率は動き、人四馬六ぐらいになっているかもしれないが。