人の身の上についてはとやかく言っても、自分のことは気がつかずにいるもの。けれども、自分のことをしっかり認識しないで、他人のことを知る道理がない。どんなに賢そうに見える人であってもそうだ。
徒然草の「いましめ」について述べた中にこのようなことが書かれてある。
もののわかった人とは、自分を知る人と言っているのだが、競馬に立ち向かう場合も、結局同じではないか。
自分をよく知っていれば、無茶をすることはない。抑えが利く。さらには、己を知ることは身の程を知ることに通じるから、他人に左右されることはない。人にとやかく言われることもない。あくまでも、自分ひとりの楽しみに徹することができるのだ。
さらには、この心得があれば、人のことをとやかく言うことはしない。実に、すっきりと遊べるのだ。
自分をしっかり認識することが、どれほど競馬に立ち向かう際の道理にかなっているか、それこそ、これを「いましめ」とすべきだと言われているようなものだ。
競馬をわかった人とは、正にこのような人なのであって、いちいち人に干渉したり、なんだかんだと口を出すのは、競馬のマナーを心得ていない御仁ということになる。
斯様に競馬は上品な遊びであって、自分を知り尽くしたものが心地よくなるものであるべきなのだ。いつも考えている通り、競馬にも道があり、その道を極めるべく精進しているのである。
生きていくための「いましめ」を、競馬の中にある「いましめ」を心得ることで体得できる。そんな風に捉えられたら、週末は修業の場として得がたい時間になっていける。
互いにい自分をしっかり認識できた者同志が一堂に会すとしたら、どれだけ素晴らしいことだろう。競馬場で時折、清々しい気持ちになれるのは、こうした空気があるからだろう。
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