悩みや深い悲しみの中で誰かが苦しんでいるとき、どうしたらいいのかかける言葉が見つからないことがある。そばに寄り添うだけでいいのだからと教えてくれても、本当にそれだけで大丈夫なのかと思う。
お互いにコミュニケーションを図るとき、その多くは言葉によって行われるべきものと決めてしまってはいないか。そうでないと伝わらないと思ってしまってはいないか。
実は、私どもは言葉以外で相手に意志を伝えていることが多いのだ。手ぶりや顔つき、目や声、しぐさ、このからだを通して思いを伝えていることに、どれほど気づいているだろうか。言われてみれば、そうだと納得できるのに、気づいていない。本当にそういうことは多いのだ。
そこで、人間と馬の関係について考えてみた。言葉をかけることはあっても、馬の方からは言葉は返ってこない。しかし、馬とのコミュニケーションを取るとは、よく言われること。もの言わぬ馬とどのようにして心を通わせるのか。やはり、身ぶり手ぶり、目や声や顔つきなど、あらゆる手段を駆使しているではないか。
しかし、これは実際に馬のそばにいるものや、馬とのかかわりの深い者に限られる。人馬の呼吸と言うように、もちろん騎手もその中に入る。では、競馬を外から見ている者には、馬とのコミュニケーションを取ることは不可能なのだろうか。もちろん、こちらから言葉をかけたり、身ぶりで意志を伝えることはかなわない。でも、馬の様子やしぐさから、何かを感じ取ることはできるのではないか。よく馬の気持ちになると言うが、そんなものが分かればどれだけ楽しいだろう。
競馬を本当に知るとは、馬をよく知ることに通じるし、その逆も真実。パドックを周回する馬たちをじっと見つめているうちに、馬の方から何かを訴えてくれるかもしれない。
そのためにパドックがあるのだが。