なにか都合が悪くなったとき、笑ってこう言う、君子豹変すさと。こんな便利な言葉はない。秋から冬にかけて豹の毛が生え替わるので、このがらりと様子が変わることを豹変というのはわかるのだが、君子がそんなに態度を変えていいのかという疑問が残る。
君子とは立派な人、だから時と場合によって態度を変えていいのかと思うのが当たり前、どうもこう要領よくされては面白くない。
例えば、レースの予想を声高にされ、ついそっちに思いが行った挙げ句の大はずれ。なのに、その仕掛け人はゲットしたと我を忘れて大喜び。こう言ったじゃないかと問いつめると、君子豹変すさと笑ってごまかす。
競馬ではよくあるシーンだが、こっちに心のゆとりがよっぽどないと、とても平静ではいられない。それに、相手が君子であればあるほど、その思いは尋常ではなくなるのだ。
もっとも、本当の君子は、そんな稚拙な行動はしないはずだが。とにかく、その言動には気をつけろということだ。
ところでこの君子豹変だが、ものの本によると、本当の意味はこうなのだそうだ。がらり変わって立派になると。がらり態度が変わって相手に不愉快な思いを抱かせるのでは、とても君子とは言えないのだ。
では、競馬で言う君子豹変をどう捉えたらいいのだろうか。なかなか厄介だ。がらり変わってよくなるということだから、件の予想で述べればこうなるのではないか。
予め発表したものを、直前になって言い改めて、それが的中するということ、こうならこちらも心地よくなる。これなら、君子豹変すと言ってもおかしくない。そうだ、かくあればいいのだ。前に言ったり発表したりしたことに囚われず、その瞬間にいいと閃いたとおりにすればいいのである。あるがままに正直に、これは正に“禅”のこころだ。刻一刻と状況が変わっていくのが競馬だし、レースもこころも自在に動くのが一番いい。