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競馬の品格

  • 2009年08月05日(水) 00時00分
 本物とニセモノ、その見極めを問うのが今回の総選挙と、どこを見回しても声高に叫んでいる。上からの目線で見下しているような態度はバツ、抽象的な言葉でしか自身の政策を語れないのもバツ、耳ざわりのいいことばかり語っていたら大丈夫かなと疑う。とにかく、みんな疑い深くなっているから、訴える側は大変だ。

 大転換があるかないかよりも、本当は、真の意味での品格のあるなしを問うときではないか。政治の道で修業をし続けてきた人には、この品格が備わっている筈だ。そしてその品格は、無私の心を持っていないと備わってこない。浮き足立っていては、そこのところを見失ってしまう。また、声の高さだけを競っていると、必ず何かが軽んじられていくものだ。その何かの中に、知性やキャリアといったものが含まれるのが多いので気になる。

 これらは教養そのものと言ってよく、これがなくなったら、品格もなにもあったものではないではないか。日頃から、自らの目を養う努力を続けていないと、ニセモノに惑わされてしまうということでもある。

 競馬は、様々な心境を味わわせてくれる。ある意味では、広く修行の場だと言ってもいい。そうした経験の中で、冷静に結果を分析し、受けとめる広く、強い心を持てるようになれるかどうかが重要だ。その瞬間こそ無私になっているときだからだ。

 しかし、こんな矛盾した話はない。なんでもいいから当たってくれればいい、損をしなければいいと、まぐれ当たりでもなんでもとにかく当たればいいという事前の心境から、一変して、こんな風になれるものか。ここで文豪、菊池寛の言葉を思い出したい。まぐれ当たりなら、結局はそれによって金を儲けただけの喜びにしかすぎないと。つまり、競馬においてもどういう努力を続けていくかどうかが大切であり、それによって得る教養は、競馬における品格にもつながっていくもののようだ。

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ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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