馬券であてるのは、人の心をあてるより難しいじゃありませんかと、漱石は「三四郎」の中で書いている。漱石の頭の中に競馬があったというのは面白いが、今から百年以上も昔、イギリスに留学したことがあったのだから、先進国の競馬がどんな風に人々に受け入れられていたかなども承知していたのかもしれない。
漱石の著作には、今を生きる我々にとって示唆に富んだものが多い。それだけ、人の有り様には変化がないということで、時代が移っても本質的なものは変わっていないことを証明している。だからこそ、漱石の言葉は不滅なのである。自分を確かめてみたくなったら、その著作を開いてみるといい。思いあたることが山ほどあるから面白い。
用意周到なようでどこか抜けてるね。あんまり「抜けまい、抜けまい」とするから、自然、手が廻りかねる訳かねと、これはあの「明暗」に書かれている。なにか、競馬が外れてばかりいることを指摘されているようにも思えてくる言葉ではないか。十二分に検討して、まだ足りないからとさらに検討を加え、さあ、これで大丈夫と思ったら、とんでもない、ああそうかという様なこと、本当に競馬にはよくあることではないだろうか。どこか抜けてしまう、これが競馬の検討ということはみんなが承知していることだろう。
生まれついての性格があって、手抜かりなくやらないと気が済まないというのも人間だから、それはどうでもいいのだが、「抜けまい、抜けまい」とすればするほど、どう仕様もなくなるというのがこの世のことなのだと指摘している点は、頷ける。
そこで、ひとつの教訓が登場する。競馬に関して言えば、馬券であてるのは人の心をあてるより難しい、元々そういうものなのだから、突きつめていくべきものではなく、もっと気軽に取り組み、幸運を引き寄せることに心を使えばということのようだ。