日々生活を送る中で遭遇する事ごと。例えば、何か思いがけなくも手に入るとか、逆に期待したほどではなくガッカリさせられるとか、得をしたり損をした気分になることはよくある。こうした損得勘定の最たるもののひとつに競馬は入っている。
この、思いがけないとか期待したほどではないとかいう感情は、よくよく考えてみると自分勝手なものだ。そこにあるのは、自分だけの願いであり欲望なのだから、その物差しは自分勝手なものとしか言いようがない。しかし、それを完全に捨てなさいと言われてもそうはいかないのも事実だ。身勝手なことと分かっていても、弱い心はそっちに行きたがってしまう。どうしたって、損得の物差しを捨てることができないのだ。
この身勝手は、他を思いやることができないという悪習慣を生んでいく。世の中にある病巣とは、こんなところから大きくなっているように思う。
ところが、人間は弱いものだから、なかなか広い心を持つところまではいかないのが常で、何かでその淀んだものを浄化させなければならない。競馬は、その重要な役割を担っているもののひとつだ。
何か思いがけなくも手に入ることがたまにはあるし、それをいくら望んでも許されるところだ。また、期待したのにそれほどでもなかったということもよくある。それでも、これが競馬なのだと承知している。このために他人に迷惑をかけるということはない。
自分だけという身勝手が堂々と通用するのが競馬なのである。自分の思いを、あるがままに出しても許されるのが競馬なのだから、そこにいれば安心をしていられる。損得の物差しを取り出し、思いがけなくでもいいから自己満足を得たいとみんなが頭に描いているところ、そこが競馬なのだから、十二分に自分を発揮しても誰にも迷惑はかけないで済むのだ。そして健全な心を取り戻せるのだ。