強いて自分にさえ隠そうとすること、誰にだって、ひとつやふたつはあるもの。このやせ我慢、それは生きていくうえでの美学でもあるのだから、お互い、そっとしておくべきだと思う。なのに、そこを言い当てるものがいるのだから困ったものである。
隠そうとしているのに言い当てられる、世の中には、そんな達人がいるのだから迷惑なものだが、中には、同情のつもりで言っているものもいる。
例えば、ちょっと動いて息切れしているとすぐ、どこか悪いんじゃないかとくる。知らずのうちに冷酷な同情をしているのだ。
いくら自分にとって明白な事実であったとしても、はっきり言い当てられるとがっかりする。やはり、弱点はそっとしておいてほしい。それが礼儀というものではないか。
競馬では、強いて自分にさえ隠そうとしても、もともとが普段着で心を解放する場所なのだから、それは無理。辛いときには辛いと態度に出してしまう。しかし、それでも悔しいことが重なるとそうでもなくなる。自然と押し黙っていくのだ。黙ることで、その悔しさを隠そうとするのである。
そんなとき、ずばり言い当てられると、これは救いようがない。暗い穴の中へ落ちてしまう。やはり、いくら解放する場所といっても、そこにもルールがあるのだ。弱点はそっとしておくという礼儀を生かしたい。
人によって温度差はあるが、競馬に負けて悔しい思いは誰にも訪れる心境だ。お互いを思い合えば、そっとしておくべき時が分かるはず。それを実践するのも競馬だから、ここでも十分に生きていくのに必要な礼儀が身につくのだ。互いが礼儀正しければ、なにはさておき、居心地がいいに決まっている。
強いて自分にさえ隠そうとするやせ我慢の美学もあった方がいいし、弱点には触れないという思いやりも大切。ちょっとした心構えで上等な生き方を競馬で培っていきたい。