人物としての相場、これは周囲が決めるものだから、気にしないでいると生涯、何も知らずに済ますことはできる。いや、できればそんなことは考えずに生きていくのがいいに決まっている。だが、人には“たち”というものがあるから、それによって起こす行動が知らぬ間に他人の評価を生んでしまっているものだ。
ここに強情を押し通していつも勝った気でいる人間がいたとする。そうしていくうちにその人間の人物としての相場は、どんどん下落していくのだが、本人は気がつかず、自分は面目を施した積もりで居続けている。以後、どんなに軽蔑されているか知る由もなく。
気をつけなければならないのは、ここのところだろう。
何が何でも、自分の思った通りに押し続けるその時、目の当たりにする多くの者がその道を譲ってくれる。それは、その者が寛容である場合ではなく、多くが、呆れていることを知らなければならない。さらには、本当は相手にしたくはないと思っていることを悟らなければならないのだ。
気をつけなければならないのは、競馬であっても同じこと。常に、自分は言い過ぎてはいないだろうかと顧みるこころがなければ、窮屈になっていく。この辺りのことは、多くが身に覚えのあるところだろう。我を押し通すことは、相手の自由を奪うことであり、逆にそうされたら面白くないとは、誰だって察しがついている。競馬は、不確定要素ばかりのものだから、それだけ、何を言ったって許される。それだから面白い。その面白さの図に乗って、言い分を言い合うのも楽しいのだが、そこにも限度があるから気をつけたい。
折角、競馬を楽しんでいるのに、調子に乗りすぎて、人物としての相場を下げてしまってはつまらない。こういうときにこそ、相場を上げるチャンスと考え、心してその場を楽しくできる術を身につけようではないか。