とことん突き詰めなくては納得できない、それはそれでいいのだが、質問を掛け続けてあるところまで行くと、それはもう質問ではなくなり、まるで詰問に変化していく。その執念、やや疲れるのだが、若い頃はこれを押して随分と迷惑を掛けたことがあった。
競馬で突き詰めると言えば、何といっても勝馬検討会だ。それも、多勢の人を前にしての会場イベントで、放送と違ってその場の空気というものがあるから、出演者のひと言が醸し出すものをどうしても問い質さざるを得ないということが起こる。慣れてくれば、そういう場面でも話し手の意を汲んでうまく話を進めていけるのだが、若い頃は正直すぎたから始末が悪い。ある穴馬の発言に対し、その根拠はどこにあるのかと問い質す。さらに追い打ちを掛け、それだけのことですかと決めつけてしまう。まるで発言を否定するが如くなのである。
苛立った出演者から、私は絶対にこれが来るとまでは言っていないとピシャリとやられてしまったのだ。
今思えば、随分失礼なことを言ったものなのだが、質問が詰問に変化してしまった好例で、以後ずっと気をつけるようにしてきた。
だいたい、競馬の予想ほど不確かなものはないと決まっている。とことん突き詰めたところで、そこから必ず正解が引き出されるという保証もない。そんな分かりきっていることなのに、詰め寄ってしまうのはどういうことなのか。これはもう、リクリエーションにすぎないのではないかと思う。
よく、競馬は推理するところに楽しさがあると言う。それはそうなのだが、そんな風に綺麗に言われて仕舞うのも嘘っぽい。誰しもが当てようと考えているのだから、外れてしまったら面白くない。どうにかして耳寄りな話はないものかと思っている。こういう状況だから、やはり、つい問い詰めてしまうのも止む得ないとかばい合うしかない。