暗い不可思議な力が、右に行くべき彼を左に押しやったり、前に進むべき彼を後ろに引き戻したりするように思えたと、漱石は「明暗」で述べていた。人の運命とは、斯様に分からないものだから、あまり運、不運を気にしても仕方ない。それより、運気をこちらに呼び込むように仕向けるのがいい。それには、普段の心掛けが大切に思える。
何事に対しても否定的な態度をとる者、そこには幸運は訪れることはない。運気を呼び込むとは、何事に対しても肯定的に取り組もうとする者、その態度にいい風が吹いてくるということだと思う。
同じ意味で、同じ返事をするのにも元気で明るいところに幸運はやってくる。電話の暗い声は、ちっとも有り難くない。変なものがとりついてしまうようで、倍の明るさで言い返すことにしている。
勝ち負けを「明暗」と捉える競馬は、この不可思議な力がよく働く。行くところ行くところ前が塞がれてしまうことがあれば、その逆に、自然と道が開かれて勝利に導かれていくこともある。そんなことは誰にも予測できない。しかし、結果的にそういうことになっていくのだ。運としか言いようがない。
また、馬の状態があまりいいとは思えなかったので、とにかくこの馬らしさに徹して走らせていたら、一番いいかたちでレースをすることが出来て、思いもよらず勝ってしまったということもある。こういうのも、運が向いてきたと言うのだろう。
スプリンターズSのローレルゲレイロの勝利をどう捉えるか。ビービーガルダンの追撃は明らかに勝利のパターンに見えた。ところがわずか1センチ差で、勝利の女神はローレルゲレイロに。それぞれに勝因敗因があるにせよ、あの1センチには不可思議な力が働いたのだとは考えられないだろうか。その力は、片方には勝利を、片方には敗戦をと、明暗を授けていたのである。