その内には、またきっと好い事がある。そうそう悪い事ばかり続くもんじゃないからと、時折自分に言い聞かせることがある。好い事は予期することはできないが、少しでもそんな気分に自分を持っていきたいと、健気なのだ。とにかく、競馬場にいると、素顔の心が見えてくる。
あまり悪いことばかり続くと、自分が目をつけた馬は、絶対に好い事はないとまで思い込んでしまうのだから、それはもう、謙虚を通り越して弱気なのだ。こんな有様では、まず幸運は訪れない。
どうしたらいいのか。最早、気分転換しかない。水の一杯でも飲むとか、馬券発売機の購入場所を変えるとか、買う馬券の種類を替えるとか、何でもいいから、とにかく流れを断ち切って新しい方向に自分を持っていくようにするのだ。だからと言って、うまくいくとは限らない。でも、そうしなければこの身が納得しない。
競馬をやっていると、こんな埒の明かない状況に陥る。
ところで、この埒とは、馬場の周囲の柵のこと。埒が明くとか、埒も無いとか使われているが、コースの柵に沿ってグルグル回っている情景を頭に浮かべると、埒が明かないという風景がはっきり見えてくる。それこそが、どうにもならないことであり、柵であるならば、それを跳び越えるしかないことが容易に分かる。幸運という別のコースに移るにはどうしたらいいのか。しっかり頭に描いてみて、そこから方法を考えていかなくてはならない。要は、その同じ場所に立っていては駄目だということだけははっきりしている。
これは、レースについても言えるのではないかと思う。多くが絶対に勝ってほしいと願っていた大本命馬が敗戦を喫したとき訪れる遣り切れない思い。これは、当事者に特に重くのしかかる。それを思うと、この秋のウオッカの快走を願わずにはいられない。