好きな言葉がある。それはこうである。「ものには堪忍ということがある。この心掛けを忘れてはいけない。ちっとはつらいだろうが我慢をするさ」と言い、続いて「世の中は、陰陽、陰陽、陰陽と続いて行くんだ。仕合せと不仕合せとは軒続きさ。ここの道理を忘れちゃいけない」と。これは、太宰治の「粋人」の冒頭に書かれてあるが、実に心に響く言葉ではないか。
陰と陽とがはっきりする競馬には、この類の言葉は多い。「晴れの日も雨の日も、いろいろあるさ」と言って、目の前の結果を受け入れる。「夜の次には、朝が来る」と言って次への期待を大きくするのだ。競馬を人生になぞらえて言うことは多いが、堪忍という点では競馬に起こるひとつひとつは、正に堪忍そのものと言っていい。
秋のタイトル戦たけなわ、栄光のゴールを切るその直後、悲喜こもごもの証言を耳にしながら、いつもこう思ってきた。「まだ時期が来ていないだけではないか。勝負は時の運さ」と。そして、別の言葉を持って敗者への思いを自分に言い聞かせている。「桜のシーズンに柿を食べたいと思っても、それはかなえられないさ」と。その一瞬、その敗者に寄り添うようにすることで、なんだか自分の心が豊かになっているのだ。
競馬は勝つことこそ第一なのだが、端から見る者は、目的が達成されたことへの称賛はもちろんでも、敗者への思いの方もずっと心に残るものだ。まして語るのは人間、馬への様々な見方をすべて呑み込んで述べなければならないから尋常でないはず。その思いを汲み取るのが人の情けというものと、これはずっと思ってきたことなのだ。
それはこっちにだって辛いときもあるが、それこそ堪忍という事。自分のことはさておいて我慢する。仕合わせと不仕合わせが軒続きという太宰の言葉こそ、しのいで生き抜く力を与えてくれる。