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道半ばにして力尽きる

  • 2009年10月28日(水) 10時30分
 道半ばにして力尽きる、ああもうちょっとだったのにということ、よくある。その道半ばの捉え方だが、場面場面で随分異なってはいるが、所詮、駄目なものは駄目なのであって、そこに惜しいという考え方はない。

 百里の道も九十九里で半ばと、昔から言われているではないか。

 競馬で言えば、長丁場のレースによくそんなシーンが見られる。菊花賞3000m、あれだけ引き離して逃げたリーチザクラウンの姿に件の言葉が蘇っていた。後続に交わされたのは、ほんのあと50mぐらいのところ。2950mはずっと先頭を切っていたのだから、あと少し、本当に惜しかったとも言えるのだが、当事者にしてみれば、あれは完敗、道半ばにして力尽きたのであった。しかし、あの大逃げがあったことで、レースの盛り上がりはみられたし、追う各馬の力は、余すところなく引き出されたのだ。

 道半ばにして力尽きるとも、果敢に立ち回るものがいてこそ、人の心は動かされる。

 そこにある全力疾走の姿、それもケレン味なく逃げる姿に、魅力を覚える者は多い。競馬の様々なシーンを思い起こすとき、その多くの場面に、逃げ馬の存在が光っている。

 刀折れ矢尽きる、それがあるから心が動くのであり、競馬の場合には、多くが逃げ馬によって演じられる。だが、多くの場合、逃げは割に合わないことが多い。どんなに望まれても、なるべくならその役割は受けたくないのだが。それでも、人は望むのだ。

 誰だって、割に合わないことはやりたくない。でも、この世の中に、この割に合わないことをみんながやらなくなったら、どうだろうか。ちっとも面白くないではないか。

 果敢に事にあたるものがいて、それが駄目になったとき、それを称えて支えるものが出てきてと、そうであるからこの世の中はいいのである。駄目なものは駄目と切り捨てるだけでは、あまりにも情けというものがない。

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ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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