競馬を、夢の連続と捉えるとしたらどうだろう。そこには、悲喜こもごもの結末があって、そこに至る様々な迷いが含まれる。しかし、いつまでも引きずらないからいい。だから、いつも心新たに前向きでいられるのだ。
言ってみれば、「夢はいっとき、心は新た」ということか。実は、この競馬の日々の有り様、なかなか意味深い。
昨日までの夢をいつまでも追いかけていると、今日、明日への迷いが消え去ることはない。こんな迷いは早くぬぐって、今この時に集中しなければならないということだ。新たという心境は、こうして生まれる。
うまくしたもので、一年が終わり、年が改まるこの時があるから、わかりやすい。
新しい年、心新たにと、みんなが等しく思い、そう誓い合う。競馬だって、まったく同じだ。有馬記念が終わって金杯を迎えてと、いつもと同じサイクルの中にあるのだが、ここを境に心を改めようとしている。しかし、競馬は実は、日々心を改めながら前に進んでいる。
昨日の夢は切り落とし、今日に夢を持ち、今日が終われば、それはそれとして次に進んでいく。日々是新たなのだから。
この「新」という字、「あたらしい」とも「あらたに」とも読めるし、「あらた」ならば「改」とも書ける。つまり、「あらためる」という意味にも捉えられるから面白い。
また、立ち木のつくりに斧をつけて「新」とも言えるから、「新」とは、立っている木を斧で切る姿なのだとも考えられる。そうとなれば、迷いは切り落とすことで新たな心境に到達できるともなる。
言い古された心新たにという言葉だが、そんなに簡単なことではない。しっかり心にケジメをつけなければ前に進もうという気にはならない。夢はいつまでも持っていたい。そうでなければ、新たな気持ちという思いにはならないのが人間だが、競馬で培っている習慣こそ、この場合の力になっていると信じる。