年初、こんなことを考えてみた。競馬の中にみつけたいもの、それは何だろうと。今だからこそ、切に願うことがあるではないかと。流れる水がとどこおって止まっているような世情、この淀んだ空気を少しでも晴らしてくれるものが競馬にあるとしたら。
長年、競馬とつき合ってきた者として、どうしても素通りできないのだ。
競馬をスポーツとしての側面から捉えると分かりやすい。観戦者の立場から、スポーツに心惹かれるのは、感動を覚えるシーンがあるからだ。それは、勝つことによってはっきりしてくる。だが、そこだけを私どもは見ているのではない。感動を覚えるプレイは、もっと奥深いところにもあるではないか。スポーツを愛する者は、そこまで目が届いているものだ。見えにくいところに目が行く、そういう風に競馬もなっていけるはず。是非、今年はその方向に向かっていきたいと思う。
競馬ほど勝つか負けるかの影響の大きいものはない。その仕組みから当然と言えるし、そこにのみ関心を持つ者は多い。それが競馬なのだと割り切ってしまえば、実は、その存在は世の中をリードするものではなくなってしまう。どうしても競馬は、もっと大きな存在であってほしいと願うからこそ、その先を考えなくてはならないのだ。
競馬の持っている情緒、それをロマンと表現する時代はあった。しかし、それだけでは少し弱い。もっと確たるものはないのか、この心を揺さぶるような。その見えにくいところに感動を覚えることがあれば、とどこおっている水の流れを動かす力になり得るのではないか。今こそ、人の心の有り様が大切な時はないと思うからこそ、こんなことを考えてしまう。あらゆる分野で勝ち負けを言い過ぎた結果が今だとすれば、これからは、そこから一歩踏み込まなければならない。競馬の中にある、心を動かすシーンとは。それを考えることは、決して大袈裟ではないと思うが。