スマートフォン版へ

netkeiba

競馬の道は、生きる道すじにもつながる

  • 2010年03月17日(水) 00時00分
 いつも優しい顔をしていたい、時々そう願っている自分がいる。また、誰しも険しい顔つきではいたくないと願っているに違いないとも思っている。なるべく穏やかにいたいからだ。ところが、勝ち負けがはっきりする世界にいると、それがいかに至難であるか、時折思い知らされるのだ。

 一般的に、勝ち負けをはっきりさせることを好むものは、勝って嬉しい気分に浸りたいと思っているし、他より勝っていると誇示したがる。もっと言えば、他に無念に思わせ自分の心を晴らそうとするのだ。徳に背くことはなはだしい。こんな、礼に背く人間にはなりたくないから、人と争うことはしたくない。どんな場にあっても、いつも穏やかでいたいし、優しい顔をしていたいと願うばかりなのだ。

 ところが、自然と、気づかないでそんな顔になっている瞬間が誰にでもある。とても幸せそうな瞬間。ちょうど今時なら、お墓参りのときの顔がそうだ。

 家の近くにお寺があり、お参りの帰りにすれ違う方々と会釈をかわすことがある。どの顔も穏やかで優しいのに、いつの頃か気づいたのだ。それを感じる自分も、きっとそうなっているに違いない。亡き人とつながっているという安堵、心の中にいる人を感じたときの安心感、お墓参りには不思議な力があるのだが、こんな瞬間が競馬場の中にあるだろうか。

 いつも穏やかな気持ちでいるとは、ここでは自分に無理をしないということのようだ。勝ち負けはつきものだが、それによって心が左右されない心境。勝って誇らず、負けて恨まず、好きなことをやっている喜びだけがそこにある。まるで道を学ぶようなものだ。こんな利得を捨てるという心境は、よほど余裕がないと無理なのだが、それなくしては、到底叶うことはない。競馬の道は、生きる道すじにもつながると断言していいのではないか。

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング