幸福とは、一瞬の感覚である。今、幸福と思うことが、明日は不幸の種になっているかもしれない。今、不幸だと思っている原因が、思いもかけない悟りに通じ、人生の奥義をのぞかせる種にならないともいえない―これは瀬戸内寂聴さんの著作、「生きることば あなたへ」の中に書かれている言葉である。
人は幸福になるために生きていると言ってもよく、この世で幸福になることは約束されているのだと、よく自分に言い聞かせていた頃があった。そうするとどうなるか、ひたすら努力するのだ。幸福になるための努力、簡単に言えばそういうことになる。そして、ある一瞬一瞬に幸福を実感する、一瞬の感覚がそこに生じるのだ。とにかく、その頃は元気だったから、そうやり続けていた。
さて、競馬と幸福、このテーマは厄介と言うしかない。競馬の幸福は、いくら努力してもかなえられそうにもなく、他のものとの因果関係もはっきりしない。そうでありながら興味をひくのはどういうことか。
それこそ、そこに生じる一瞬の感覚ではないかと思うのだ。パドックに登場する馬たちを品評するとき、品定めする思いを超越してこちらの心をとらえて離さない馬に思いがけずめぐり合うことがある。
一瞬の感覚で幸福を捉えたという実感、これがそうだ。確かに、じっと見つめているうちにそうなることがある。そして、また別に何か伝えてくる馬がいることに気づく。二周三周と周回するうちに、グングン馬たちとの会話の中に引き込まれていく。その瞬間が、競馬の幸福なのかもしれない。
そして、レース。気になる馬たちのイメージがはっきりしているから、つい、身を乗り出してしまう。どう走ってくれるか、その馬の気持ちが乗り移ってくるから面白い。さて、その先だが、願うとおりになることは少なく、不幸を味わうことが多い。だが、競馬の奥義そこにありの心境が芽生えてくるのである。