7月12日の夕刻、桜井勝延市長との対談を終えた武豊騎手は、南相馬市役所からほど近い原町第一小学校を訪れた。ここの体育館では、震災から4か月を経た今も102人の被災者が寝泊まりしている。冷房もなく、段ボールの仕切りだけでプライバシーもない、厳しい環境である。
市の職員から「武騎手が慰問に行きます」と一報を入れておいてもらったので、体育館入口にはすでに何人もの人が出てきて、彼の到着を待っていた。
「お邪魔します」
とスリッパに履き替えた武騎手が体育館に入ると、あたたかい拍手が沸き起こった。
丁寧なお辞儀で拍手に応えた彼のもとに、たくさんの人々が駆け寄ってきた。
▲避難所となっている原町第一小学校体育館でサインに応じる武豊騎手
「カッコいいねー」「うわあ、顔小さい」
携帯電話のカメラを向けたり、うちわやノートにサインを求める人々の表情は、長い避難所生活で疲弊し切っているとは思えないほど明るい。笑い声にも張りがある。着ているTシャツの背中に大きくサインをしてもらい、満面の笑みを見せた初老の男性もいた。
武騎手がここに来ることを知らされる前の彼らは、ただ静かにいつもと同じ我慢のときを過ごしていたはずだ。そう思うと胸が熱くなった。
▲武豊騎手の周りに人の輪ができた
ここで被災者と武騎手が触れ合う様を見ていて、興味深いことに気がついた。
それは、サインをしてもらったり、一緒に写真におさまった被災者が、武騎手に、
「頑張ってください」
と言い、武騎手が、
「ありがとうございます」
と被災者の手を握るという、普通に考えれば逆ではないかと思われるやり取りが、ごく自然になされていたことだ。
おそらく被災者は、避難所暮らしを始めてからずっと「頑張って」と言われつづけいる。が、何をどう頑張っていいのかわからず、ただ苦しみに耐えるしかない、というのが現実だろう。そんな状況に置かれた人々が、無意識のうちに「頑張ってください」と手を差し出せる対象と、たとえごく短い時間でも、ともに過ごすことができるのは素晴らしいことではないか。
気の毒がられることに辟易している被災者にとって、「おれ、武豊に会ったんだよ」と人に自慢できるようになっただけでも心の栄養となったに違いない。
▲丁寧に記念撮影に応じる武騎手。人々の元気の素になったことだろう
勝負の世界で日々戦っていることを誰もが知っている武騎手のような存在こそ、いつ終わるとも知れぬ苦難のなかにいる人々に大きな元気とパワーを与えることができるのだと、つくづく思った。
こうして触れ合うことにより、1週間でも10日でも、前より力強く過ごすことができるエネルギーを人々に与えることができるのは本物のスターだけだ。
彼は、スターにしかできないことを、「武豊の仕事」として、喜んで請け負った。
最高気温が35度ほどにもなった酷暑のなか、スーツ姿で人々に接しながら汗ひとつかかない武豊という男は、やはり常人ではない。
▲マイクで挨拶。武騎手と被災者は「ありがとうございました」と互いに礼を言い合った
福島駅に向かう帰りの車中で、武騎手が呟いた。
「これまでは顔を知られていることで面倒な思いばかりして、『あまりテレビとかに出ないほうがよかったのかな』と思っていたのですが、きょうは初めて『有名でよかった』と思いました」
来てよかった、と何度か繰り返してから、こうつづけた。
「きょう会った人たちに逆に力をもらって、前以上に頑張ろうと思いました。ぼくが勝てば、握手をしたり、一緒に写真を撮った人たちが喜んでくれますものね」
被災地で暮らす人々は、現地の惨状を隠したいとは思わず、少しでも多くの人々に知ってほしいと思っている。
「ぼくらがすべきことは、まず知って、感じて、そして伝えることですね」
車窓の風景を見ていた彼が、突如「あ、そうや!」と顔をしかめた。
またどこかに財布でも忘れてきたのかとビビる私に、こう言った。
「ポラロイドカメラがあるとよかったですね。そうすれば、一緒に写った写真にサインしてすぐにプレゼントできるじゃないですか。今度来るときは持ってきましょうね」
こういうスーパースターがいる競馬というスポーツを好きになったことを、私は心から誇らしく思った。