ことばの栄養失調におちいるのではないか、そんな思いが頭をかすめていく。他でもない、メールが横行しているからである。なんでもメールですませようとする世代がいれば、やっぱり会って話をすべきだと主張する世代がいる。どちらもありなのに、会うことの大切さをおろそかにしてはいないか。
わざわざ会いに行くことを無駄と思ったとしても、その中には、用事だけではなく大切な養分がつまっているとは考えられないか。その養分には、その人の心がつまっている。その心が伝わるかどうかは大きい。
また、人に会うことは、ことばに会うことで、いろんなことばを持った人たちに会うことは、自分のことばも耕され、豊かになっていく源になるのだと考えたい。
便利に足るのもいいが、足りすぎると置き去りにするものが増えてしまうのだ。
では、競馬における便利とは何になるだろうか。もしかしたら、置き去りにしているものがあるのではないか。
会うことを省くといえば、競馬場に行って馬を見ずに競馬をやることに等しい。わざわざ出掛けていかずとも、今は楽しめるようになっていて、こちらの人間の方が断然多くなっている。それだけ、受け入れられているということになるが、今や、こればかりという人間が増えていて、馬を語ることが少なくなったように思えてならない。
人に会って自分のことばを耕し豊かにしていくように、競馬場でレースを見、馬を見ることで、人と馬、競馬とのかかわりを豊かに深めていけるのではないか。そうした本当の競馬好き、馬好きが増えることで、競馬を取り巻く雰囲気も、もっと楽しくなる筈だ。楽しいということは、語られることばも多いということで、競馬の栄養分も満たされていく。メールのように、もし便利と感じることがあったら、少し、足元を見るようにしたい。何かを置き去りにしているのだから。