7月23日、午前8時30分から行われる出陣式を前に、多くの騎馬武者たちと見物客が相馬中村神社の境内に集まっていた。
そこに大きな人の輪ができ、次々と握手や記念撮影を求められている侍の姿があった。南相馬市の桜井勝延市長である。さすがに「世界で最も影響力のある100人」に選ばれただけあり、タレント並みの人気だ。
私が、前週、武豊騎手との対談に応じてくれたことの礼を述べ、
「武騎手がくれぐれもよろしくお伝えくださいとのことでした」と言うと、
「こちらこそよろしくお伝えください」と笑顔を見せた。
![桜井勝延市長](https://cdn.netkeiba.com/img.news/style/netkeiba.ja/data/shimada/110813_01.jpg)
人々との記念撮影に応じる南相馬市の桜井勝延市長 昨年の野馬追で「騎馬武者デビュー」したという桜井市長は、縮小開催となった今回は馬に乗らずに参加するという。
「被災の度合いが人によってさまざまで、悲しみや苦しみの大きさが人によって異なります。そのため、このような縮小開催という形になりました。どのような形であれ、相馬地区の復興のシンボルである今回の野馬追を実施できたことにより、みんなの気持ちがひとつになったと思います」
午前8時30分、総大将の相馬行胤公が、馬に乗って御神馬像の前に現れた。下馬して兜をとり、配下を従えて歩いて行く。出陣の宴が行われた前日以上の緊張感が表情から伝わってくる。
「本日のご出陣、おめでとう存じます」「総大将の命により、宇多郷本陣到着しました!」「申し上げます。出陣の準備、あい整いました!」
侍たちの声によって出陣式が始まり、東の海のほうを向いて黙祷が行われた。
![相馬行胤総大将](https://cdn.netkeiba.com/img.news/style/netkeiba.ja/data/shimada/110813_02.jpg)
出陣式で訓示を読み上げる相馬行胤総大将 相馬野馬追副執行委員長でもある相馬市の立谷秀清市長、前出の桜井市長の挨拶につづき、相馬行胤公によって総大将訓示が読み上げられた。
「これより出陣する! 一日も早い東日本の復興を念じながら行軍してほしい。無事凱旋することを念じて訓示とする」
さらに宇多郷騎馬会長からも訓示があり、乾杯のあと陣螺が鳴り響き、「乗馬用意!」の号令に従い、侍たちは馬上の人となった。
![相馬行胤公](https://cdn.netkeiba.com/img.news/style/netkeiba.ja/data/shimada/110813_03.jpg)
相馬行胤公。総大将の証である緋色の母衣を背負う 神社近くの長友グランドで総大将による閲兵が行われ、40騎ほどの宇多郷騎馬勢が、旧中村城大手門をくぐって街に繰り出した。
大手門の近くには大勢の観客が詰めかけ、騎馬武者が、背中の旗指物が門に引っかからないよう上体をそらせて抜けるたびに拍手が沸き起こる。総大将の騎馬が現れると、ひときわ大きな歓声が上がった。
![騎馬行列](https://cdn.netkeiba.com/img.news/style/netkeiba.ja/data/shimada/110813_04.jpg)
旧中村城大手門を抜けて街へ繰り出す騎馬行列 大手門から出た騎馬行列はまず東へ進み、突き当たりで左に折れて北上し、また右に曲がって東へ行くなど相馬の市街地を練り歩く。私は人ごみをかきわけて先回りし、南下してくる騎馬行列を待ち構えてカメラにおさめることにした。
早めに着いたのに、すでにたくさんの人々がそのあたりに集まっている。少し経つと、スピーカーを通じたアナウンスが聞こえてきた。
「まもなく騎馬が通過いたします。警備にご協力ください」
やがて、白と黒のツートンの運営車とパトカーがゆっくりとこちらに近づき、その向こうに騎馬行列が見えてきた。
――沿道に観客が大勢いるところに先導車が来て、みんなでワクワクしながら待つこの感じ、何かに似ているな。
すぐに思い当たった。正月の国民的行事、箱根駅伝である。以前よく取材したWRC(世界ラリー選手権)も雰囲気が似ている。
![騎馬行列](https://cdn.netkeiba.com/img.news/style/netkeiba.ja/data/shimada/110813_05.jpg)
運営車とパトカーに先導された騎馬行列が近づいてくる![騎馬行列](https://cdn.netkeiba.com/img.news/style/netkeiba.ja/data/shimada/110813_06.jpg)
騎馬と観客が触れ合うこともある。この距離の近さも伝統ゆえか 待つ対象が騎馬行列か、大学駅伝の選手か、ラリーカーかという違いがあるだけだ。自分たちの生活の場に、この日このときに向けて念入りな準備が重ねられ、磨き上げられ、鍛え上げられてきた人馬やクルマがさっそうと現れ、通りすぎていくシーンを見守る……という「日常のなかの非日常性」が、私たちの心をこうまで浮き立たせるのだろう。と、ややこしげなことを書いたが、祭りというのはだいたいそういうものだ。相馬野馬追だけではなく、箱根駅伝もWRCも長く人々に愛され、その地域に定着した「祭り」と言っていいだろう(伝統の長さでは野馬追がぶっちぎりだが)。
戦国絵巻から抜け出してきたような騎馬武者たちを背にした馬が列になり、蹄音を響かせ、アスファルトの道路を歩いて商店街を抜けていく――という「伝統のミスマッチ」を見られただけでも、ここまで取材に来てよかったと思った。
この「宇多郷行列」のあとの、相馬野馬追における次なるイベントは、南相馬市鹿島区の鹿島体育館前に設置された北郷本陣で行われる「総大将お迎え」である。
すぐそこに仮設住宅や、屋根にブルーシートを乗せた家があるなど、震災と原発事故の影響が強く感じられるエリアであるにもかかわらず、すごい人出だ。いかにも祭りという感じの、焼きそばや、かき氷などの出店もあった。
![北郷本陣](https://cdn.netkeiba.com/img.news/style/netkeiba.ja/data/shimada/110813_07.jpg)
南相馬市鹿島区の北郷本陣。慰霊のほら貝とともに黙祷 総大将お迎えまで1時間以上ある正午前、ここで総大将を迎える北郷騎馬会の侍たちがすでに集結していた。同騎馬会の90人ほどの会員のうち3人が震災で亡くなり、16頭の馬が津波に呑み込まれたという。それでも40騎ほどを行列に参加させるところまでこぎつけたのは、人々の野馬追に対する情熱に加え、出場できなかった仲間への強い思いがあったからだろう。
正午ごろから小雨が降りはじめた。ここは普段駐車場として使われているのか、下はアスファルトで固められている。雨で濡れると余計にすべるはずだが、そんなことはお構いなしとばかりに、騎馬武者の伝令が何度もキャンターで行き来する。
![伝令](https://cdn.netkeiba.com/img.news/style/netkeiba.ja/data/shimada/110813_08.jpg)
伝令が行き来するのを見ているだけでも楽しい「ただいま総大将は横手踏切を通過中です!」
大まじめにそう声を張り上げた伝令の言葉に、会場から大きな笑いが沸き起こった。
総大将が到着し、ここでも訓示を述べた。
「参加できなかった多くの相馬武士のことを思い、雲雀ヶ原(ひばりがはら)祭場に向かう心意気で行進することを望む」
雲雀ヶ原祭場とは、昨年まで甲冑競馬と神旗争奪戦が行われていたところだ。本来ならここで合流した宇多郷と北郷のほか、5郷すべての騎馬武者たちが雲雀ヶ原祭場に向かうはずだったのだが、今年は福島第一原子力発電所から30?圏内の緊急時避難準備区域となっているため、甲冑競馬も神旗争奪戦も行われなければ、行列の最終目的地でもなくなってしまった。
![総大将お迎えの神事](https://cdn.netkeiba.com/img.news/style/netkeiba.ja/data/shimada/110813_09.jpg)
総大将お迎えの神事。左は田代麻紗美禰宜 総大将お迎えの神事を終えたあと、宇多郷勢と北郷勢を合わせた80騎ほどが南相馬の街に繰り出した。
騎馬武者として出場できる女性は、20歳未満で未婚と決められている。今年初陣を飾った横山美咲さんは15歳の高校1年生だ。
また、相馬市出身で元関脇栃東関の先代玉ノ井親方、志賀駿男さんも騎馬武者として参加していた。志賀さんは9月に67歳になる。
![横山美咲さん](https://cdn.netkeiba.com/img.news/style/netkeiba.ja/data/shimada/110813_10.jpg)
横山美咲さんの凛々しい騎馬武者姿![元関脇栃東の志賀駿男さん](https://cdn.netkeiba.com/img.news/style/netkeiba.ja/data/shimada/110813_11.jpg)
元関脇栃東の志賀駿男さんも、沿道の注目を集めていた 相馬野馬追は、参加者も見物客もさまざまな世代の人間が入りまじっている。私はギリシアやスペインなどでWRCの取材をしたとき、小さな子供のいる家族連れが多いので驚いたのだが、それこそ文化として根付いていることの証なのだろう。
「おれ、野馬追見るのは初めてなんだ。去年までは自分が出てたからさ」という中年男性の声が寂しく響いた。
「来年もできるかしらねえ」とつぶやくように言った老女に、隣にいた中年女性が「さあね」と、ため息まじりに応えた。
その中年男性と老女たちの表情をうかがうと、言葉ほどには絶望しているようには見えなかった。
――福島の人は強いな。
それもそのはず、武士の心が今も生きつづけている土地なのだから。(つづく)