あなたは本や雑誌、新聞など紙媒体の購入費として、月にどのくらい遣うだろうか。
私の場合、単行本や文庫、新書などを10冊程度、値段はまちまちなので平均1000円として1万円。雑誌は週刊誌を2、3誌、隔週誌も月刊誌もそのくらいなので、平均500円で12冊として6000円。新聞は宅配で「読売新聞」と「スポーツ報知」をとっていて、合わせて7185円(28日の月も31日の月も同じ)。さらに競馬専門紙を毎週1、2紙買うのだが、1紙だけだとして450円×4週で1800円。
自分が寄稿している雑誌は送本してもらっているので、実際に読んでいるものはもっと多い。また、原稿を書くための資料として読むものを加えると、ここに記した額の倍以上になる月もあるのだが、それは置いておき、とりあえず合計すると約2万4985円ということになる。うち、競馬の情報を得るために遣っているのは3、4割だから35%として、「紙媒体競馬情報料」は約8745円。
これを安いと見るか高いと見るか。
馬券代と比べると、アホらしくなるほど安い。週単位に換算すると、4週で割って約2186円。土日で各1000円強。これをレース数で割ったりすると、悲しくるほどだ。
では、インターネットと比べてどうか。ネットは、情報料そのものより、情報を得たり保存したするために必要なパソコンやプリンター、ハードディスクなどの購入費や、回線使用料やプロバイダー料金などのほうが高くつくのが一般的だろう。
私の場合、自宅兼事務所にパソコンが5台あり、うち頻繁に使っているのは2台、たまに使うのが1台。よく使う2台のうちデスクトップは、いつも2年ほどで壊れてしまう。昨春買ったものが20数万円なので、24カ月で割って月1万円とする。
モバイルのうち昨秋買った1台も値段は一緒ぐらいだが、外で原稿を書くときに使うだけなので、デスクトップの倍以上もつとして月3000円とする。もう1台のモバイルを含めた他のパソコンは予備なので加えないでおく。
フレッツ光とアットニフティ、イーモバイルに払っているのが月1万5000円ほど。ネットでの情報料は合わせて月に約2万8000円。携帯サイトに関して同様に計算するとプラス2000円程度だろうから、計約3万円。紙媒体より5000円ほど高くなるが、私にとって、ネットは情報源であると同時に情報の発信元でもあり、またパソコンで制作した文書で収入を得ているのだから、3万円すべてが情報料というわけでなはい。まあ、半分の1万5000円としておこう。紙媒体と同じく、そのうち競馬の情報は35%とすると5250円か。
こういう計算をしたのは初めてなのだが、我ながらセコい額である。ぜんぜん違う業種の人ならともかく、情報産業に関わっているのだから、紙にもネットにも、もっと金を遣ってもバチは当たらない。というより、もっと遣うべきなのだろう。
私は物書きである。活字で食っている。
紙媒体は、画集や写真集、絵本などビジュアルがメインのものもあるが、だいたいが活字媒体である。ネットもしかり。写真も動画も綺麗に見られるようになったが、少なくとも私の感覚では、半分以上活字媒体とみなしている。
活字の魅力や面白さは、その「不自由な単純さ」にある。読み手は、ただズラリと並べられた文字から、頭を使ってイメージを立ち上げる作業を強いられる。見ればわかる絵や写真に比べると、実に面倒くさいメディアである。
が、そうしてイメージを立ち上げる面倒くささが、そのまま活字の魅力になるのだ。例えば、ディープインパクトが馬群から抜け出す瞬間の写真があるとする。光のとらえ方の上手いフォトグラファーが撮影したものなら、さぞ美しいだろう。
しかし、そのシーンを見事に描写した文章は、読者の数と同じだけバリエーションのあるディープの姿をイメージさせる。読者ひとりひとりが自分だけのディープのイメージを立ち上げるのだ。人は、そうして不自由な活字から自らの頭で立ち上げたイメージを、とても大切にする。
私が以前構成を担当したラジオ番組で、食料品や衣類、雑貨などを売るラジオショッピングをしていた。リスナーは、パーソナリティの言葉を聴いて、その商品がどんなものかイメージし、金を払う。驚いたのは、写真や映像を見せる雑誌やテレビの通販に比べ、返品やクレームが非常に少ないことだ。
ビジュアルで見てしまったものは、イメージが固定されるため、手元に届いたときに「思っていたのと違う」と感じてしまう。それに対し、ビジュアル情報のない言葉だけから立ち上げたイメージには幅があり、また、繰り返しになるが、人間というのはそうして自ら立ち上げたイメージを愛するようにできているようだ。
いつだったか、小説のモデルになった女性が「あれは私です」と名乗り出て顔を出したら、作者が裁判で訴え、モデルが敗訴したこともあった。モデルにされた女性にとってはひどい話だと思うが、たくさんの読者が立ち上げて愛したイメージを壊したのはよくない、と判断されたわけだ。
私も、たくさんの人がそれぞれ立ち上げたイメージをずっと大切にしてくれるような作品を書いていきたい。
そう思っていたら、2週前の本稿に記した、津波で亡くなった相馬野馬追の若武者、蒔田匠馬(まきた・しょうま)さんの父である蒔田保夫さんから電話をいただいた。匠馬さんの記録を残したい、こういう若者がいたことをもっと多くの人に伝えたい、と本稿を読んで思ったとのことだった。
南相馬で蒔田さんに会った時間はほんの僅かだったし、あのときは私もどこまで訊いていいものか迷いながら話していたので、嬉しい申し出だった。
蒔田さんにとって、匠馬さんは今も自慢の息子なのだろう。たくさんの人に愛されながら短い生涯をとじることになった匠馬さんの物語をどこで書くべきか。じっくり考え、編集者に連絡したい。