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インプットで得た珠玉の言葉

  • 2011年09月10日(土) 12時00分
 私が一番近い過去にインタビューしたのは武豊騎手で、次が田中剛調教師だった。武騎手には8月下旬に小倉で、田中師には7月末に美浦で話をうかがった。ほかにも、8月9日に日高町が福島県南相馬市から初めて被災馬を受け入れたとき同町の三輪茂町長に、また、その週末クイーンSを勝ったアヴェンチュラの前川和也調教助手にも話を聞いたのだが、どちらも聞き手が複数いて、時間も数分と短かい「囲み取材」だった。

 物書きの仕事は「何をどう書くか」に尽きる。ノンフィクションを書くにあたり、その「何」の部分を構成する材料を仕入れるため取材が不可欠だ。これを「インプット」と呼ぶこともできる。

 それに対し、書く作業が「アウトプット」なのだが、どんな天才でも何もインプットせずに書くことはできないし、そもそも、健康な人間が何もインプットせずに生きていくこと自体、不可能だろう。

 拘置所や刑務所に入っていると活字に飢えて、小さな紙片にプリントされていた文字を何度も繰り返し読んでしまう……といった話をよく聞くが、仮にそうした状況に置かれたとしても、食事が出されるたびに視覚でも嗅覚でも味覚でも情報を仕入れることができるわけだし、刑務官の足音や表情の変化を読みとることも立派なインプットになる。

 どんな状況に置かれようが、誰でも何かをインプットすることができるのだ。しかし、当然のことながら、インプットしたもの次第で、アウトプットしたもの――文章の質は大きく変わってくる。

「プロ」の物書きは、書く材料をインプットする時点で、他者より優位に立つことを、まず考える。そのひとつが、冒頭に記したような単独インタビューである。自分ひとりで話を聞けば、「何をどう書くか」の「何」の部分は、他の誰も持っていないものになる。

 物書きの仕事は、ある意味、料理人や歌手のそれに似ている。物書きがインタビューで面白い話を聞くことは、調理人がいい材料を仕入れること、あるいは、歌手がいい曲を歌う権利を有することと同じで、その時点で他を大きくリードできる。

「どう書くか」も、もちろん大切だ。せっかくの新鮮な材料も、トロい料理人が調理したら不味くなるように、文章も、アウトプットの能力が低ければ、つまらないものになってしまう。運動神経のいい人と悪い人には歴然とした差があるように、文章も、もともと上手い人とそうでない人がいる。それでも、スポーツや音楽に比べると、文章は、努力によって才能のある人との差を詰めたり、ときには追い越す可能性が高いと思う。

 アウトプット能力の高め方、鍛練法はいろいろあるのだが、それをつづけると「競馬ライター養成講座」になってしまう。今の私には他人を育てる余裕などないので、このあたりで切り上げたい。

 さて、以前、作家の横山秀夫氏にインタビューしたとき、「ものを書くこと」に関して、非常に興味深いことを言っていた。

「まだ小説になっていないものを書きながらのたうち回っているうちに、何かのキーワードを見つけたり、いい1行が浮かんだがために、その文章の塊が小説になる瞬間。あの瞬間の気持ちよさは、一度味わうと癖になります」

「陰の季節」という作品の場合、主人公がふと思う「警察官の妻は幸せか」というフレーズを思いついた瞬間、その作品が警察小説になったのだという。

 これは横山氏がアウトプットの作業をしているときのことで、私もそうした瞬間を味わうこともあるが、インプットの作業中にそう感じることもある。

 7月末、田中剛師にインタビューしたときのことだった。師と話すのは初めてだったし、プロフィール紹介的なことも欠かせないページだったので、騎手になるまで、そしてデビュー後「障害の名手」と呼ばれるようになるまでのプロセスなどをひと通り聞いた。厩舎の応接室にお邪魔してから1時間ほど経っていただろうか、私が、

「調教師になった今も、障害レースに対する特別な思いはありますか?」

 と訊くと、次のような答えが返ってきた。

「はい。障害を飛ばすことによって、人と馬とのつながりができるんです」

 そのひと言を聞いた瞬間、

 ――よし、このインタビュー原稿は、プロとして胸を張れるものになるぞ。

 と確信した。

 田中師は、騎手としてデビューしたばかりのころ、成績のいい兄弟子に質の高い騎乗馬が集中するので、ニッチではないが、活路を見出す意味で障害レースに騎乗したら、2年目の暮れに中山大障害を制覇した。若くして「障害の田中」と評価されたが、自身は20代後半から数年間アメリカに遠征してモンキー乗りの腕を磨くなど、平地での夢も捨てていなかった。それでも、大きな答えを出すことができたのは、障害レースばかりだった。

 だからといって、「田中剛にとっての障害レース」に悔いる気持ちだけがからみついているわけではないことが先の言葉からわかるし、理由やきっかけがどうあれ、ひとつの道をきわめた結果として得られるものの素晴らしさも、そこから読みとることができる。

 これがもし、たまたま飲み会の席で一緒になって数時間競馬談義に花を咲かせた……としたらどうだろう。田中師が、こういう素晴らしい言葉をプレゼントしてくれたかどうか、わからない。きちんと準備をして質問コンテをつくり、5W1Hなど最低限の基本を踏まえたやり取りをしてこそ得られるものもあると信じて私は仕事をしている。

 さ、次のインタビューのコンテづくりをしよう。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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