人生は、長い目で見る夢と目先の対応という現実の両面から、その道を歩いてきたように思える。それが年を経て夢の部分が消え、ひたすら現実を追いかけるのみという日々になっている。時折、夢のかけらを拾おうとすることはあるのだが。
だから、若くして夢を現実にしている者には、心引かれるのだ。また、目の前で目標をつかもうとする者には声援を送りたくもなる。
スポーツは、それをわかりやすく見せてくれる。やるものもやらない者も夢中になるのは、当然と言えば当然なのだ。
競馬だって同様だ。スターホースの出走するスタンドが熱狂的なのは、まさに、そうした人の思いが、ギャンブルに潜むロマンを完全に圧倒しているからだ。一銭にもならないことには普段見向きもしない人間でも、この場合は、全く別人になれるのだ。そして、別人になれる自分に、不思議な感慨を覚えるのだから素晴らしい。
この春、史上22頭目の2冠馬になったオルフェーヴルは、ダービーを勝った時点で、長い目で見ていた夢と目先の対応という現実とを同時に達成し、それで間違いなく当面の対策に追われる必要はなくなったのだが、秋は6年ぶり、史上7頭目の3冠馬に向かって順調にステップレースをものにした。ダービーでは次元の違う破壊力を見せていたが、それでもまだ、さらなる馬体の充実がのぞまれていたと思う。どうしても、兄ドリームジャーニーと比較してしまうからだった。
ところが、4か月ぶりにターフに姿を見せたオルフェーヴルには、それは杞憂だった。
厄介な現実から、既に春の時点で開放されていたから、それこそ思う存分の調整ができたのだ。こうなれば、久しぶりに別人になれる時を迎えるだけ。あの不思議な感慨を味わえる、精一杯の声援を送る自分が頭に浮かぶ。その日を無事にと願いつつ、わずかなところで、そうでない自分がいるのだから仕方ない。