先日、取材から戻ると、写真家の内藤律子さんが撮影した「2012年サラブレッドカレンダー」が届いていた。封をあけ、表紙の仔馬の写真を見たら自然と頬が緩み、疲れがどこかに行ってしまった。
内藤律子さん撮影「2012年サラブレッドカレンダー」。
ノーザンホースパークのオンラインショップなどで購入できる この写真に内藤さんがつけた画題がまたふるっている。
「いらっしゃいませ」である。
仔馬の血統も生まれた牧場も、いつ撮影された写真なのかもわからないが、
――こいつ、三つ指ついて「いらっしゃいませ」か。
と思うと、かわいらしさにメロメロになってしまった。
以前、本稿に「不自由な活字という媒体から立ち上げたイメージを私たちは愛する」と書いた。そうしてイメージを立ち上げる作業には時間がかかるし、立ち上げている最中に来客のチャイムが鳴ったりしただけで世界が壊れたりと、脆いものだ。
それに対して、この仔馬の写真の吸引力の、まあ強いこと。仕事場の袖机の上に置いてあるとつい目が行き、ぼーっと眺めているうちに体温が感じられてきたり、むくっと起き上がりそうに思われたりする。
優れたアーティストの手による写真や絵などの力は強い。その強さは、受け手の労力を必要としない強さである。活字の場合、どんなに優れた作品でも、ある時間読者に文字を目で追ってもらわなければならないが、写真や絵は、それを前にして眺めているだけでいい。もちろんそのときの受け手の気持ちのありようによって見え方は違ってくるが、活字よりオートマティックに人々の心を動かす力があることは確かだ。
活字からイメージを立ち上げるときは、文字だけが並んでいる紙を見ていたつもりが、いつの間にか、ゆったりと流れる大河に浮かぶ船から下流に沈む夕日を眺めていたり、古刹で薪能を見ている老女にかつての恋人の面影が重なって不思議な気持ちになったり……と、イメージがどんどんふくらんで行く。
それが例えば、この仔馬の写真の場合、すぐそばにお母さんがいるのかなと考えたり、ひたいの毛のやわらかさが手に感じられるような気がしてきたり……と、こちらの思いがどんどん写真に集約されて行く。
このように、私は、活字がイメージを外にふくらませて行くのに対し、写真や絵はイメージを自身(=写真や絵)に収束させて行くものだ、と考えている。要は、イメージの動く方向が逆なのだ。だからこそ、いろいろなアプローチから見ていくとわかりやすくなる説明文などは図解とセットにされるし、読者が短時間で情報を整理したがる新聞や雑誌にもビジュアルは欠かせないのだと思う。
写真や絵の力が強いだけに、活字で食っている私としては付き合い方に気をつけなければならない。そう思っているから、自著の本文中に写真を入れることに関して非常に神経質になる。
『「武豊」の瞬間』と『ありがとう、ディープインパクト』の本文中には写真を一点も入れないよう編集者に言った。武豊騎手がフォトジェニックすぎるからだ。せっかくいろいろなシーンや彼の気持ちなどを読者に想像してもらっても、たった一枚の笑顔の写真にすべてが吸収されてしまっては、伝わったはずのものが残らなくなる。
『ウオッカ物語』の本文中に写真をたくさん入れたのは、ウオッカはディープと違って競走生活が長く、複数の騎手が乗って何度か同じレースに出走するなどしているので整理が必要だと思ったからだ。『消えた天才騎手』も古い時代の話なので説明が必要だと思い、ビジュアルの力を借りることにした。
ビジュアル側の視点に立つと、内藤さんの仔馬の写真の場合、「いらっしゃいませ」より多くの言葉を費やすと、この仔馬が私たちのイメージの世界のなかで見せる表情や動きが逆に小さくなってしまうと思う。
さて、「2012年サラブレッドカレンダー」の包みに同封されていた内藤さんからの書簡で、彼女が今年6月に上梓した写真集『白の時間 名馬オグリキャップ引退後二十年の日々』が増刷されたことを知った。このご時世、馬の写真集が出ること自体少なくなっているのに、重版がかかったというのは、競馬メディアに関わる者としてはとても嬉しいことである。
私ももっと頑張ろう、という気になった。