記録を次々に塗り替える武豊騎手、おそらく、騎手の記録のほとんどを作ってしまうことになるでしょう。
今の競馬は、騎乗馬の選択を許される騎手が何人かはいます。その中でも、彼は最たる立場にあります。彼がどの馬を選ぶかは、いつでも最大の関心事であり、逆にみれば、自分の意志を通すための苦労が、見えないところであるのではないか、そんな風にいつも思っています。と言うのは、この世界、人間のしがらみの強いところであろうし、義理人情という縛りを受けることが多いのではないか、容易に想像できるからです。
君子淡く交わるという教訓があります。どれだけ、それを押し通せるか、その微妙な呼吸を、この天才は心得ているなと、ずっと見て来ました。
ここまでの存在になると、端からのマークはきつくなります。それは、レースに限ったことではなく、普段の話への注目度も大きくなります。それが、レースのこと、騎乗馬のこととなると余計でしょう。プロの世界なら当然です。
よく、取り囲んでの取材とか、レース後の共同インタビューなどのあと、当たり前の言い方しかしてくれないと不満をもらす取材記者がいます。しかし、これは仕方のないことでしょう。他の陣営の、参考になるような言い方は、マークのきつい立場にあるからこそ、なるべくしたくはありません。こちらサイドとすれば、なんでもない言葉の言いまわしの中から、彼の心情を察する努力をするのです。そこに、取材をする側の醍醐味があると思っています。アンテナをいっぱいに張りめぐらせ、油断なく耳を傾けるのです。そこに、いつもと異なるニュアンスが感じられるかどうか、微妙なところにポイントがあります。
こういう雰囲気の中に、いつも武豊騎手はいるのですから、大変なことです。でも、一番楽しいのは、彼かもしれません。