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中央移籍時の苦労

  • 2011年10月25日(火) 18時00分
ローズバドでのフィリーズレビュー制覇で、その名が一気に全国区となった小牧騎手。2002年は、同年に施行された“アンカツルール”のクリアを目指し、積極的に中央に参戦しました。しかし、その陰には、地元園田でのさまざまな葛藤が…。今回は、当時の苦悩を赤裸々に語ってくれました。

──ローズバドで重賞初制覇を飾った2001年は、夏の小倉でもロサードで大活躍(北九州記念2着、小倉記念1着)をされたほか、最終的に20勝をマークした年でもありましたね。ただ、“5年以内に20勝を2回”っていう一次試験免除の規定ができたのは、たしか翌年の2002年でしたよね。

小牧 そうです。だから2001年の20勝はたまたまですね。翌年、安藤さんのおかげであのルールができたとき、“あれ? 俺、去年20勝してるやん”って思った覚えがあります。ついてたよね。だから、2001年の20勝っていうのは、すごく大きかった。2002年からは、年間20勝を目標に乗り出してね。積極的に中央に乗りに来て、一番必死でしたね。

必死だったあの頃


──2002年は21勝を挙げられて。しっかり目標はクリアされました。

小牧 でも、最後のほうはなかなか勝てなくてねぇ。伊藤雄二先生にも、いい馬に乗せていただいたりして。だから、クリアしたときは本当にホッとしました。あの年は、精神的に大変でしたね。いや〜、ホントに疲れた(笑)。中央と園田の行き来こそあれ、調整ルームにずっといるような状態で、外に出ることがほとんどなかったですからね。園田で競馬に乗ることが、しんどかったですもん。よく曾和先生に怒られてましたわ。『ここで乗りたくないと思うようなら、中央に行くな!』ってね。

──体力的にきついのはもちろん、20勝しなければいけないというプレッシャーもあったでしょうから、精神的な厳しさのほうが大きかったのではないですか?

小牧 そうやね。いろいろな面でつらかった。まず、地元の馬と一緒じゃないと中央には乗りに行けない。だから、自分が中央に乗りに行くために、『あの馬、中央で乗せてもらえないか?』って、ジョッキー仲間に頼んだりね。地方のジョッキーは、誰しも中央で乗ることを夢見てる。それをわかっていて、頼むわけだからね…。ジョッキー仲間だけじゃなく、調教師さんや厩務員さんにも頼みに行ってたしね。『どうせ行っても勝てないんやから、嫌や』っていう人もいたし、それはそれで間違ってないし。あとはやっぱり馬主さんもね、積極的な人ばかりではなかった。馬を連れて行くには、旅費もかかりますからね。

──難しいですよね。みなさんがみなさん、快く…とはいきませんものね。

小牧 そう。大変でしたね。岩田クンにも頼みましたよ。ただ、僕が(一次試験免除の)権利を取ってからは、今度は彼がバンバン中央に乗りに行けるように、僕の乗り馬を岩田クンに渡してね。

──交流重賞などが盛んになって、一次試験免除の規定が設けられたとはいえ、やはり、中央と地方を行き来するには、“ルール”という高い壁がありますからね。それを飛び越えるために、ずいぶんと大変な思いをされて。必然的に、志も高くなりますね。

小牧 まぁ僕はボチボチ…ね(笑)。楽しみながらっていうか。いまや、いつまで乗っていられるか、わからない年齢になってきたんでね。

──そんな! まだまだ活躍していただかなければ困ります!

小牧 たとえば、50歳まで乗るとしても、もう10年ないんですよ。信じられませんよ。50歳まで乗ることを目標にしてきたのに、それがあと6年やからね。目標に近づいてきてること自体、すごいことだなぁと思うし。40歳を過ぎたら、1週間がアッという間やし、ホントに1年が早い。時間が過ぎるのがめちゃくちゃ早いですわ。

──40歳を過ぎると…というのは、よく聞きますが、なぜなんでしょうね。

小牧 なんでやろね。夜、すぐに眠たくなるからかな(笑)。だからもう、ジョッキーをやっているうちは、私生活も競馬も、楽しみながらやっていきたいなって。あとは、いい馬にめぐり会って、グラシックに勝ちたいね。

──今のモチベーションは、そのあたりになりますか?

小牧 目標っていうか、夢ですけど、一番すごいことは、橋口厩舎の馬でダービーを勝つこと。勝ちたいな、じゃなくて、勝てたらすごいことやなと思うようになりました。橋口先生も、もうあと4年で引退やからねぇ。僕の手で勝つことができたら、一番の恩返しになるやろうなと。先生もダービーを勝つことを目標にやってこられたから。

橋口厩舎の馬でダービーを

──橋口厩舎は、惜しい年が何度もありましたからね。ダービーは、文字通り悲願でしょうね。

小牧 ホントにねぇ。これで僕が乗って勝てたら、すごいドラマやなって、いつも思ってるんです。何としてでも僕の手で…、そういう気持ちはあります。反面、人生そううまく行くかな、とも思いますけど(笑)。

──橋口厩舎は、毎年必ずといっていいほど、有力馬をクラシックに送り込んできますからね。ぜひ、現実として、そのドラマを見せてください。

小牧 そうやね。そのためには、僕自身、つねにいい成績を収めておかないと。ローズキングダムのこともあったからね…。やっぱり、ダービーの有力馬には乗りたいから。

──今年も楽しみな馬がたくさんいますものね。古馬ではリディルがスワンSを控えています。

小牧 リディルの場合は、スワンSで2着以内に入らないと、賞金的にマイルCSへの出走が厳しいんですよ。でも、スムーズな競馬ができれば、勝てるかなっていう手応えはあります。状態もいいみたいやし。

──米子Sは、力の違いを感じさせる内容でしたね。

小牧 そうですね。でも、僕自身は、もっと離して勝てるかなと思ってたんです。でもスローペースのヨーイドンの競馬で、勝ったリディルの上がりが33秒3でしょ。ほかの馬も33秒台の脚を使ってるわけやから、それで離して勝つには31秒とか32秒の脚を使わないといけない。そうやって考えたら、そりゃあ着差がなくて当たり前やなと思って。強い競馬だったと思いますよ。

──賞金加算もそうですが、将来的にもスワンSは大事な一戦ですね。

小牧 ホントにそう思います。G?に出走するためにも、ここは結果を出さんとね。

(質問コーナー)

■私はロードバクシンが好きだったのですが、園田時代でもっとも印象に残っている馬はどの馬ですか?

小牧 たくさんいますよ。ワシュウジョージとかオカノヒリュウとか…。いい馬にたくさん乗せていただきましたから。でもやっぱり、アラブのほうが印象に残ってますね。サラブレッドでは、やっぱりロードバクシンかな。園田の馬で交流重賞を勝ったのは、いまだにロードバクシンだけだし、『こんなこともあるんだなぁ』って思った記憶があります。3冠も獲ってね、よく頑張ってくれたと思います。どれか1頭…となると絞れませんね。走らなかった馬でも、印象深い馬はたくさんいますから。

■弟の毅さんは、現在、園田で調教師をされていますが、今でもよくお会いしてますか? また、弟さんに対する思いは?

小牧 園田に行ったときなど、たまに会いますね。弟に対する思い…、これといってないですね(笑)。彼は彼なりに家族を持って頑張っているし、僕も負けずに頑張っていかなくちゃいけないし。お互い頼るわけにはいかないからね。弟は昔からヤンチャでねぇ。全然言うこと聞かんかった(笑)。調教師になる前は仕事も中途半端でね。挫折したり、いろいろあったから。今は順調にやっているみたいなので、それがなによりですね。

■小牧騎手といえば、園田で活躍されていたころのことが焼き付いていますが、今でも園田に対する思いは変わっていませんか? 園田のために、今後なにかをしようというお考えはありますか?

小牧 園田出身の“小牧太”が、つねに大きいレースに出て、そこで活躍することが、地元の励みになるんじゃないかと思っています。昔からのファンの方も、楽しみに観てくれていると思うんでね。だから、ずっと活躍し続けることが、園田のみなさんのためになるんじゃないかなと思っています。
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太論 / 小牧太
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1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。2024年には再度園田競馬へ復帰し、活躍中。史上初の挑戦を続ける。

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