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福島競馬場で見た三冠馬誕生の瞬間

  • 2011年10月29日(土) 12時00分
 オルフェーヴルが史上7頭目の三冠馬となった菊花賞を、私は福島競馬場で見ていた。

 東京在住の私が、なぜそういう変わった観戦方法を選んだかというと――。

 仕事部屋の壁に貼ってある競馬カレンダーの菊花賞前日、10月22日(土)のところに、「3福島1日」と記されている。そう、東日本大震災がなければ、その日は3回福島初日開催になる予定だったのだ。しかし、地震の揺れでスタンドが損傷するなどしたため、今年は一度も開催されることなく、来春のリスタートを待つことになった。

 外から見たら無傷のように見える福島競馬場のスタンドであるが、内部、特に上層階の損傷が激しい。天井パネルが崩落して配線や鉄骨がむき出しになった写真をご覧になった方も多いだろう。

 すぐ近くにある低層の事務所棟は、構造物としてはほとんど被害を受けていないのに、新しくて大きくて丈夫なスタンドが甚大な被害を受けたのは、どうやら地震のガル(加速度)と建物の大きさがマッチしてしまい、揺れが増幅されてしまったためらしい。競馬場の近くにはほかに大きな建物がないので比較の対象はないのだが、福島駅周辺などでも、普通の一軒家や小さなビルより、役所や家電量販店などの大きな建物のほうが被害が大きかったという。

 私が「優駿」誌に「東日本大震災からの復興」という20枚ほどのノンフィクションを書くため6月末に福島競馬場に取材に行ったときは、床に散乱していた破片などは片づけられていたが、物資や人手は「民間優先」なので、まだ復旧工事の準備工事をしている段階だった。

今年6月末、準備工事中だった福島競馬場スタンド上層階

今年6月末、準備工事中だった福島競馬場スタンド上層階

 福島競馬場での払戻し業務は4月23日から、場外発売は6月25日から馬場内投票所に限って再開された。その後、放射線量を低減するための芝コースの張り替えやダートコースのクッション砂の入れ替えなどにとりかかり、9月にはスタンド復旧工事に着手した。工事は来年3月末に完了し、春の競馬開催が4月7日(桜花賞前日)に開幕するという。

 そうしたことをニュースとして知ってはいたが、6月の取材のあとは訪ねる機会がないままになっていた(相馬野馬追取材のときなど何度かクルマで前を通ったが)。

 だから、復旧工事中に場外発売している様子を一度見ておきたい、と思ったのが福島に行こうと思った理由のひとつ。

 もうひとつの理由は、以前本稿に書いた、津波で亡くなった相馬野馬追の20歳の若武者・蒔田匠馬さんの父・保夫さんと再会する約束をしていたことだ。このまま忙しさにかまけていると、どんどん先送りになってしまうので、私のGI取材と札幌への介護帰省の合間に時間をとれるのはここしかないと思い、菊花賞前日に会うことにし、蒔田さんがそこから職場に通う、郡山の借上げ住宅を訪ねた。

 蒔田さんに話を聞かせてもらったあと、郡山のホテルに泊まり、翌日、福島競馬場に行った。

 前述したように、場外発売をしているのは馬場内投票所のみ。馬券を売るのは東京の全レースと京都・新潟の第11、12レースだけだったのだが、午後の早い時間から結構な人出だった。

福島競馬場馬場内投票所では、早い時間から「窓口が大変混雑しております」とのアナウンスが

福島競馬場馬場内投票所では、早い時間から
「窓口が大変混雑しております」とのアナウンスが

 雲が多く風も少し強かったので、小春日和という感じではなかったが、ジャケットを着て馬場内をうろつきながら馬券の検討をしていると、軽く汗ばむような陽気だった。

 コース外側のターフビジョンに近いところに、新たにダートコースに入れるクッション砂と思われる砂山があった。頂上に置かれた箱に、「青森産」とプリントされた紙が貼られている。

 私がその写真を撮っていると、60歳ぐらいのふたり連れの男性に声をかけられた。

「これは放射能対策の砂だべか」と(正確な福島弁は失念したが)ひとりが砂山を指さした。

「はい、おそらく。青森産となっているので、砂質のいい六ヶ所村から持ってきたものだと思います」

 私が応えると、満足げにうなずいてくれたので、なんだかほっとした。

「もうすぐ、そこのスタンドで馬券買えるようになるんだべ」

「ええ、来週から1階で買えるようになるみたいです」

 つまり、この稿がアップされる10月29日(土)から、この馬場内投票所のほか、スタンド1階と地下1階の自動車専用発売所でも馬券を買えるようになるのだ。

 この日はターフビジョンに電源は入っておらず(入っていたとしても馬場内からは非常に見づらいのだが)、レースはモニターで見ることになった。WINSでは「よし3番来い、2は来るな!」といったように馬番を叫びながらレースを見ている人が多いのだが、ここでは騎手や馬の名を呼びながら観戦している人が多く、やはり競馬場だな、と思った。本来なら馬が走るシーンをライブで見ているはずの人たちなのだから、当然と言えば当然か。

 また、仲間同士が連れ立って来て、「柴山、次もチャンスだぞ」「このプラス体重は成長ぶんだろう」「武はこの枠、してやったりなんじゃねえか」といった声が聞こえるのも、競馬ファンの多い福島らしいと思った。

 来る前から私が確かめたいと思っていたのは、菊花賞のファンファーレが鳴ったとき、福島競馬場に集まった人々が京都競馬場にいるファン同様に手拍子をし、歓声を上げるかどうかだったのだが――。

 ファンファーレが鳴っても、みな静かにモニターを注視しているだけだった。

 福島ではGIがないので、いつもライブ観戦している人たちも、ファンファーレに合わせて手拍子をする習慣がないのかもしれない。また、比較的年配の人が多く、46歳の私が平均年齢かなと思うくらいだったことも影響していたのかもしれない。

馬場内投票所のモニターでオルフェーヴルのウイニングランを見つめる福島のファン
馬場内投票所のモニターでオルフェーヴルの
ウイニングランを見つめる福島のファン

 池添謙一騎手の勝利騎手インタビューをモニターでじっと見ている人が多かったのも、競馬場ならではの光景のように思われた。

 この日、福島競馬場を訪れたのは6521人。去年の菊花賞当日、競馬が開催されていた福島競馬場を訪れたのは1万5265人。1万人近いファンが、来たくても来れなかったり、来るのを我慢した、ということになる。

 こう見ることもできる。去年の菊花賞前日の入場人員は9517人、翌週の土曜日は7657人だった。つまり、開催中の土曜日の入場人員に迫るほど多くの人が、今年の菊花賞やその他の馬券を買ったり、レースを観戦するために訪れたのだ。これだけ多くの福島のファンが、開催の再開を強く待ち望んでいることを示す数字でもあるわけだ。来春のリスタートが、ますます楽しみになった。

 かくして私は、史上7頭目の三冠馬が誕生する歴史的瞬間を、復旧工事中の福島競馬場の馬場内投票所で福島の人々ともに観戦した。6年前、京都競馬場のスタンドで、飯田祐史騎手と並んで、ディープインパクトが無敗の三冠馬になるシーンを目撃した菊花賞とはまた別の意味で、私にとって特別な菊花賞になった。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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