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競馬は人間の業の肯定

  • 2011年12月22日(木) 12時00分
 言葉を友人に持ちたいと思うことがあると詩人、寺山修司は言っていた。それは、じぶんがたった一人だということに気がついたときにと。競馬場にも足を運び、テレビでも競馬を語った寺山は、人生に競馬を見て競馬に人生も見てもいた。その捉え方は、多くの若者の心をつかみ、影響を与えていた。

 強烈な個性で人の心をつかんだ立川談志にも、人の胸をぐさりとひと突きする言葉がある。人生は落語だと。

 旅路の途中にあってこころ淋しいとき、これら言葉たちは、やさしく肩を抱いてくれるような気がするのだ。そんな言葉こそ自分にとっての名言であり、生き抜く指針になっていく。そして、そこに人生をかぶせてみるとはっきり道すじが見えるような気がするのだから、言葉は魔術でもある。

 談志で有名になった言葉に、落語は人間の業の肯定というのがある。だから、談志の落語は見事に生きていて、成長もし変化も進化もしていたように思えた。

 かつて、昔の後楽園球場で談志とプロ野球のラジオの実況放送を競演したことがある。表の回を談志が、裏を私がといった具合だったが、抱いていたイメージとは違い、実にきめ細かくていねいだったことを思い出す。

 落語は人間の業の肯定という大きな思いの中で、あの時の野球実況はどんなものだったのだろうと思う。

 そして、寺山のように談志の言葉に競馬をかぶせてみるとどうだろうと思った。競馬は人間の業の肯定と。競馬に抱く様々な人間の感情は、確かに業のようなものに見える。それなくしては人間ではあり得ないし、競馬はあり得ない。ただ、思うままには生きられなく、生きてはいけないことのあるのが人生だから、せめて競馬には思い切ってこの業をぶつけるのがいいと思えるのだ。言葉の友人を持ち、競馬は人間の業の肯定を胸に、自由自在に好きなように競馬とつき合って行こう。

【お知らせ】
『競馬白書』の次回更新は1/12(木)になります。ご了承の程よろしくお願い致します。

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ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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