先週の金曜日、前回の「熱視点」の原稿を編集部に送った数時間後、『
消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(白夜書房)が2011年度JRA賞馬事文化賞を受賞したという知らせを受けた。
本稿はネットの性質上、入稿後でも加筆・修正が可能なので、受賞にあたっての思いなどを追加するつもりだった。しかし、受賞のニュースがJRAやスポーツ新聞などのサイトで報じられると、電話やメール、SMS(ショートメッセージ)、ツイッター、フェイスブックなどを通じてたくさんの「おめでとうメッセージ」が来て、それらに応えたり、前田長吉元騎手の親族やお世話になった人たちに連絡したりしているうちに深夜になり、翌日も朝から同じような感じだったので、結局、何も追加できずにアップしてしまった。
あれから1週間。慌ただしかった数日間が夢だったかのように、こうして原稿を書いたり、編集者と次の企画について電話で打ち合わせたりと、受賞前と同じペースの日常に戻っている。
――賞をもらって、いろいろ変わったでしょう。
何人かにそう言われた。ところが、自分でも感心するぐらい何も変わっていない。これが例えば、自分の知らないところで「ジーパンが日本一似合う人コンテスト」にエントリーされていて、ある日突然「あなたがグランプリに選ばれました」と連絡があったとしたら(あり得ませんが)、人生が変わったかもしれない。
そうした意志や努力と無関係な部分に対する評価とは違い、今回の受賞は「競馬に関する文章を書く」という、20年以上つづけてきた「アイデンティティの肉付け」とでも言うべき意志的な作業が一定の評価を得た、ということだから、変わるべきではないし、変わる気にはなれない。と、意識的にはもちろん、無意識的にも感じているので、自然とこれまでと同じ方向に同じペースで行ってしまうのだと思う。
メディアに載る前に私から受賞を知らせた人たちのなかで、私淑する作家の伊集院静氏にだけは、ほかの方々とは異なる方法でお知らせした。小説賞なら氏の携帯に電話をするところだが、そうではないので東京の事務所に電話をし、スタッフの女性に氏から連絡があったとき伝えてもらうようお願いした。そのうえで仙台のご自宅に葉書を出しておいた。
やはり、伊集院氏は葉書を読むまで事務所には連絡をしなかったようで、受賞から5日経った水曜の夜、
「おめでとう。よかったな」と電話をくださった。
「ありがとうございます」
「あれはいい賞だ。1回目か2回目に山口瞳さんが受賞していて、おれもほしいと思ったことがあったぐらいだよ」
私は、「山口瞳さんは受賞していないはずです」という言葉を呑み込み、「ありがとうございます」を繰り返した。伊集院氏は、こちらを笑わせたりリラックスさせるために、わざとこんなふうに間違えてみせたり、知らないふりをすることがある。
以前、氏が都内の書店でサイン会をしたとき、挨拶に来た新人編集者にこう訊いたことがあった。
「あなたはどこの大学の出身?」
「東大です」
「聞いたことがないなあ」
周りはバカウケだった。その編集者もなかなか機転の利く男で、こう返した。
「小さい大学ですから」
「そう、あなたも大変だねえ」
私もああいう面白いことが言えるようになるだろうか。
話は氏から電話が来た夜に戻る。
「発表はいつだったの?」
「先週の金曜日です」
「候補になっていたことは知っていたんだろう?」
「いえ、この賞は知らされないんです」
「そう。あなたがもし辞退すると言ったら、どうするつもりだったんだろうね」
そんなことは考えもしなかっただけに、笑ってしまった。
「断る人はいないという前提のもとに選考されているんだと思います」
「選考委員は誰?」
私が10名の選考委員の肩書と名前を伝えると、氏はつづけた。
「やはりいい賞だ。正月からめでたい知らせで嬉しいよ。こういうことをきっかけに運気や流れが変わることはよくあるから、これまで無理だと思っていたようなことも、どんどんやってみるといい」
やってみよう、と思った。
さて、来週月曜日発売の「週刊競馬ブック」の隔週連載エッセイ「競馬ことのは」にも記したのだが、馬事文化賞選考委員会から『消えた天才騎手』の内容に関して指摘のあった2点を以下に記す。
1)65ページの写真のキャプション「曳き手を持っているのが」につづくのは「尾形藤吉」ではなく「馬主の西博」。
2)75ページの本文4〜5行目、
【日本の「古式競馬」が初めて文献に著されたのは、(天智天皇の四年端午の節宴に走馬を覧給う)という『日本書紀』の記述だと思われる。7世紀半ばのことだ】
は誤りで、正しくは、
【日本の「古式競馬」が初めて文献に著されたのは、(群臣五位已上をして走馬を出さしむ。天皇臨み観たまふ)という『続日本紀』の記述で8世紀初めのことだ】。
増刷されたり、文庫化されたとき、あらためたお詫びして訂正したい。申し訳ありませんでした。
読者の方々に申し訳なく思うと同時に、選考委員の方々にここまで精査されたうえでいただいた賞なのだと思うと、さらに身が引き締まる思いがした。
天国の前田長吉さんに感謝しながら、今より少しでもいいものを書けるよう頑張っていきたい。