年明けから2週間ほど札幌に滞在していた。その間、1日2食しかとらず、毎日雪かきをし、さらに腕立て伏せと腹筋を繰り返していたのだが、体重は500グラムほどしか減らなかった。身長178センチで71kg台だから、数字のうえではダイエットの必要などなさそうだが、自分としては体が重い。理想体重の68kgに戻すには、やはり走らなきゃダメなのだろうか。
今が一番重いわけではなく、1990年代前半、私は急に太って90kgをオーバーしたことがあった。リビングに敷きつめられていたカーペットには、私が座った尻の跡が家具を置いた跡のようにクッキリと残った。すぐに腹が減ってドカ食いをし、満腹感でウトウトしかけ、ようやく眠気が覚めたと思ったらもう腹が減っている……という日々がつづき、あまりいい仕事ができなかったので、炭水化物の摂取を減らすダイエットをして、ひと月ほどの間に20kg以上落とした。それからずっと68kg以下の体重を保っていたのだが、どこで油断したのか、去年の秋ごろからやや太め残りなのである。
来週月曜日、23日にはJRA賞の授賞式がある。久しぶりにタキシードを着て出ようと思っているのだが、それは体重が90kg超のときに買ったものだ。今見ると、ズボンが冗談みたいにデカく、脚のほかに両腕がスポッと入る。まあ、でも、それはそれでネタになりそうなので、ブカブカスタイルで行くつもりだ。
時間は前後するが、馬事文化賞受賞の知らせがあった翌日、「優駿」編集部のY上さんにこう言われた。
「賞金の100万円を島田さんがどう使うか、うちの編集部でちょっと話題になっていたんですよ。三島由紀夫賞を獲った高橋源一郎さんがメジロアルダンの単勝に100万円を突っ込んだみたいにするのかな、とか」
ならば私は、東京新聞杯でスマイルジャックの単勝を100万円で1点勝負……と言いたいところだが、私はそんなカッコいいことはしない。
そのスマイルの管理者である小桧山悟調教師には、「おめでとう。これで昇進披露に包んでくる金額が100万円に決まったな」と冗談か本気かわからない口調で言われた。
私は、師のはからいで、2月4日に行われる大関・稀勢の里の昇進披露に行くことになっている。今をときめく新大関にそれだけの御祝儀をポンと渡すのもカッコいいだろうが、スマイルの単勝同様、私はそういうカッコいいこともしない。
こういう賞金は「今後の研究・取材・執筆のために役立ててください」という意味合いで出されるものだから、これまでどおり、地を這うような取材をつづけるため、自分らしくチマチマと遣いたい。
私は、本稿のような最先端の媒体に載る原稿を書きつつ、これからも、できれば年に一冊かそれ以上のペースで本を出しつづけたいと思っている。
大学を中退し、どこにも一度も就職せず、資格はクルマの免許ぐらいしかない私には、自著ぐらいしか、自分が自分であることの証になるものがない。
――あなたは何者ですか?
という問いに対し、自著は、
「これを書いている人間です」
と差し出せるものであり、また、自分がどう評価されるかを委ねられるものなのである。それに関して、とても好きな言葉がある。数年前、小説家の島田雅彦さんにインタビューしたとき、私が、
――自作でお気に入りはどれですか?
と訊くと、こういう答えが返ってきた。
「作家は新作が好きなんです」
そう言えるということはつまり、「今の自分」が「かつての自分」よりずっとよくなっていると思えるわけだから、さらによくなる「この先の自分」の力量を示す本を書こうとする前向きなエネルギーがどんどん湧いてくる。
簡単なことではないが、『消えた天才騎手』より「好きだ」と胸を張って言える本を出せるようにしなければならない。
私は、自著や雑誌のエッセイなどの紙媒体に発表したものも、こうしたネットにアップしたものも、読んでくれる人を「読者」と呼んでいる。それに対して、以前から面白いと思っていたのだが、この「ネット競馬」の編集者などは、読者を「ユーザー」と呼んでいる。コラムを読むだけではなく、データを調べたりさまざまな使い方をするから「ユーザー」なのだろうが、いずれにしても、「読者」より能動的、積極的に活字に関わろうとする人々としてとらえているのだろう。
本や雑誌を手にした「読者」が、心に響く言葉に出会ったり、胸が高鳴るようなイメージが立ち上がってきたときは、手に本の重みを感じながら息をついたり、上を見上げて目をとじたりと、抽象的な表現だが、活字からとり入れたものを全身にめぐらせるような作業をするのが普通だと思う。
それが「ユーザー」だと、「このコラムに注目する」ボタンをクリックしたり、自分のブログやツイッターに感想を書き込んだりと、即座に、自らも発信者として何らかの動きを見せる。さらに、それに対する書き手の反応が、ツイッターやフェイスブックといった別の媒体(だが、ユーザーにとっては、見ている画面は同一なのだから、別の媒体という意識は希薄なのだろう)に掲載されていないか探したりする。
「ユーザー」の評価はシビアで、例えば、馬事文化賞の受賞者が発表された翌日にアップされた本稿の「このコラムに注目する」をクリックした人は、これを書いている時点で3人しかいない。
――なんだよ、受賞の感想がひと言も載っていないじゃないか。
と思った人が多かったのだろう。〆切の都合でそうなったのだが、反省させられた。
こういう時代に物書きをしているのだから、「ユーザー」に「読者」になってもらうようにしないと、いずれ私は食えなくなる。
例えば、この「熱視点」と、「週刊競馬ブック」に連載している「競馬ことのは」と「一筆啓上」をともに縦組みにしながら加筆・修正したエッセイ集をつくり、PDFのダウンロード販売ならいくら、製本したものならいくら、というようなオンデマンド販売をしてもいいのかもしれない。
その場合もネットの特性を生かし、現在のダウンロード数やランキングなどをリアルタイムで見せていけば、作り手はさらにクオリティを上げようと努力するし、自信のあるものしか売り出そうとしないはずだから、結果として、競馬メディア全体のレベルの底上げに寄与するはずだ。
「ユーザー」のみなさん、どう思いますか。