火曜日は福島県南相馬市、水曜日は福島競馬場、木曜日は北海道安平町と移動し、今、札幌の生家でこれを書いている。
移動中の退屈しのぎに私はいつも本を持ち歩いている。だいたいは小説なのだが、今思うと震災を機に少し読書の傾向が変わってきたようで、以前よりエッセイやノンフィクション、研究書的なものもわりと読むようになった。さらに年齢的なものも加わって、若いころは数行読んだだけで眠くなったような本が面白く感じられることもままある。つい先日もそういう本を東京の仕事場の書棚で見つけた。
金田一晴彦著『日本語』(岩波新書)の旧版である。第1刷が1957年1月17日発行。保田隆芳氏がハクチカラとともにアメリカに渡ってモンキー乗りを日本に「輸入」する前年、つまり、日本のターフでは「天神乗り」の騎手たちによる叩き合いが繰り広げられていたときのことである。私はまだ生まれていない。
手元にあるのは第41刷で、84年6月5日発行。私が20歳になった年だ。いつ、どんな理由で買ったのかまったく覚えていないのだが、大学生のときに買ったものと思われる。
福島取材に出る前夜、最近買い置きしておいた本を全部読んでしまったので、旅のお供になる本はないかと書棚を眺めていたら、こいつの背表紙が目に入った。どうやったらこんなにヨレヨレになるのかと思うぐらい保存状態が悪く、ページをめくるとクシャミが何発も出てきた。引っ越しのたびになんとなく捨てられずにここまで持ってきたのだろう。捨てる前に、間に一万円札でもはさまっていないか確かめるぐらいのつもりで読みはじめたら、いや参った、これがものすごく興味深いことだらけだ。現在書店で売られているのは88年に改定されて上下巻になったもので、刊行後30年の日本語の変容にそくして全面的に手を加えた、とのこと。そちらを読んでいないので断言はできないのだが、旧版だからこそ、引用された表現が古くさくて味があったりと、楽しめる部分もかなり多いのだと思う。
第II章の(3)「身分・性別によることばの違い」にこうある。
[小学校などで女教師が男の生徒を青木君、井上君と呼ぶのも、男性語、女性語が近づきつつある一例である]
君付けではなく、どんな呼び方が女性語らしい呼び方とみなされたのだろう。
それはさておき、恐ろしいことに、その十数ページ前の数行に線が引かれ、修正の赤入れがされてある。私の字である。余白に「360字、1行42字」などとメモされているのも私の字だ。が、記憶にない。挿入部分の記し方などは、明らかに私が出版界で仕事を始める前のやり方だ。大学でこれがテキストとして使用され、任意の部分を自分なりの表現に直してみる、といった課題が出されたなどの理由で赤入れしたと思いたい。当たり前だが、修正前のほうがいいに決まっており、この改悪は若者というよりバカモノである。
さて、私が南相馬に行った火曜日、2月28日は、最年少ダービージョッキー・前田長吉の命日だった。ちょうどその前日発売の「週刊ギャロップ」の表4(裏表紙)に『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(白夜書房)の全面広告が掲載されたので、長吉の兄の孫の前田貞直さんと、長吉の甥の前田喜代治さんに知らせたら、ふたりとも「長吉の命日にいい報告ができた」と喜んでいた。
長吉がシベリアで亡くなったのが1946年、今から66年前のことだ。
先述した『日本語』の話に戻るが、長吉は子供のころ、女性教師にどのように呼ばれていたのだろうか。周辺には前田姓の子供がたくさんいたようだから、やはり南部弁で「チョウギィ」だったのかな。