「愛するということは、お互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである」
これは、小説『星の王子さま』の作者として知られるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの言葉である。と、教えてくれたのは、弟の結婚式で十数年ぶりに再会したアーサー・ホーランド牧師だ。
アーサー師(本来なら名字に「師」をつけて記すべきなのだろうが、私は「アーサーさん」とか「アーサー先生」と呼んでいるのでこう表記する)は、真っ赤なスーツを着て都心で辻説法したり、元ヤクザを引き連れて刺青を見せながら布教する「ミッション・バラバ」などのユニークな活動で注目を集めた、キリスト教(プロテスタント)の牧師である。
アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたハーフで、自分は「あいのこ」であると同時に「愛の子」であるという。英語、日本語ともにネイティヴ・ランゲージ。全米レスリング選手権で2度優勝した文武両道の人で、とても60歳には見えない。
![アーサー・ホーランド牧師。キリンラガービールのCMにも出演していた。](https://cdn.netkeiba.com/img.news/style/netkeiba.ja/data/shimada/12031711.jpg)
アーサー・ホーランド牧師
私はクリスチャンではないのだが、師は取材対象として魅力があるばかりでなく、ひとりの人間として尊敬できる人なので、弟が生き方で迷っていたとき相談に乗ってもらうなどしていた。
そのアーサー師が弟の結婚式の二次会で口にした「プロテスタントの宣教師が日本に来てから150年経って……」という言葉に、私は食いついてしまった。私ばかりでなく、もしその場に競馬ファンがいたら、「近代競馬150周年」と重ね、同じように反応したのではないか。
日本におけるカトリックの布教は、フランシスコ・ザビエルが日本に来た16世紀に始まったのだが、プロテスタントの宣教師が初めて来日したのは1859年で(1846年に沖縄に来たのが実は最初らしいが)、2009年に「日本プロテスタント宣教150周年」としてさまざまなイベントが行われた。
1859年というと、ペリーがアメリカから浦賀に来航した翌年だ。日本は長崎、横浜、箱館(函館)を開港せざるを得なくなり、アメリカからプロテスタントの宣教師がやってきたのである。
その3年後の1862年の春、横浜(現在の中区)で居留外国人によって行われた競馬が、日本における最初の「洋式競馬」とされている。
プロテスタントと近代競馬は、開国からほどなくしてほぼ同時期に入ってきた、というわけだ。
アーサー師は、弟の結婚式の翌日、3月11日に沖縄に飛び、そこから40kgの十字架をかつぎ、半年ほどかけて日本を縦断する旅を始めた。今アーサー師がどこにいるのかは「アーサー・ホーランド公式サイト(http://arthur-hollands.com/)」の「Schedule(スケジュール)」でわかるので、近くにいるときは、ぜひ声援を贈ってほしい。
![このあとアーサー師は沖縄、私は中山競馬場へ](https://cdn.netkeiba.com/img.news/style/netkeiba.ja/data/shimada/12031712.jpg)
アーサー氏と私
私は3月11日、中山競馬場に行き、海外の競馬事業者から寄贈された帽子を売り、収益を被災地・被災馬支援にあてる「ハッツオフプロジェクト」の現場に顔を出した。手伝いにならなかったかもしれないが、売り子をつとめたキャスター勢の後ろで「被災馬支援のチャリティー販売です」と声を出した。そして、1年前に震災が発生した時刻である午後2時46分、そこで黙祷した。
次にアーサー師に会うのはいつになるだろうか。と、考えながら、冒頭に引用したサン=テグジュペリの言葉を思い出してみる。愛し合っている者同士が同じ方向を見つめるのは確かだと思う。が、同じ方向を見つめているからといって、必ずしも愛し合っているとは言えないのではないか。競馬場で同じレースを見つめるファンは、賭けた金の奪い合いをしているようなものだから……まあ、でも、そのわりに周りは敵だらけ、という感じはしない。「同じものを見つめる」ことによって愛(のようなもの)が生まれ、それが敵愾心を中和しているのだろうか。
アーサー師は、最近、鴨長明の心にも寄り添おうとしているという。十数年前に会ったころ、つまり、師が今の私ぐらいの年齢だったころより、今のほうがずっとパワーアップしており、話にさらに深みが感じられ、何より面白い。あの人を見ていると、自分が60歳になるのが嫌ではなくなってくる。
さあ、今週もしっかり予想し、しっかり買って、堂々と一週間ぶん年をとろう。