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普通に競馬のある日々

  • 2012年03月24日(土) 12時00分
 去年まではドバイワールドカップと高松宮記念が重なっていたため(ドバイミーティングは土曜日だが)、ドバイ取材を慣例としている私は高松宮記念観戦を諦めざるを得なかった。ところが今年はドバイミーティングが1週間後ろにズレ込む格好になり、両方ともライブで見られるようになった。

 東日本大震災から1年と少し。こうして競馬が当たり前に開催されていることを、つくづくありがたく思う。

 去年私は、震災後初めて東京に雨が降った3月21日、月曜日の夜、ドバイにむけて出国した。都内の自宅兼事務所は羽田空港まで私鉄で10分ほどのところにあるので、成田空港に行くとき、私はいつも羽田から成田までリムジンバスを使っている。ガソリン不足が深刻な時期だったのだが、問い合わせたところ時刻表どおり運行しているとのことだった。それでも湾岸線の一部は地震で損傷し通行止になっており、箱崎を経由するルートを通ることになった。確か19時ごろ羽田を出るバスだったのだが、25年以上住んでいて、あんなに暗い東京の街並みを見たのは初めてのことだった。あのとき味わった暗澹たる思いは、今も胸の奥のほうに澱のように残っている。

 震災があった3月11日は金曜日だった。その週末の競馬開催はすべて中止されたが、翌週の19日、土曜日から阪神と小倉で競馬が開催された。

 ――まだ再開は早すぎるのではないか。

 そんな思いを抱えたまま飛行機に乗り込んだ。今振り返るとしかし、渡航先のドバイでも競馬を見ようとしていたわけだから、矛盾していたとまでは言わないにせよ、勝手な考え方だったかもしれない。

 ――こんなときに競馬をやっていいのだろうか。

 再開された週の中京記念を勝った武豊騎手も、ドバイワールドカップを管理馬ヴィクトワールピサで制した角居勝彦調教師も、実際競馬をする前はそう思ったという。しかし、競馬場で喜ぶ人々に接し、

 ――競馬をしてよかった。こんなときだからこそ競馬をする意味もあるのだ。

 と感じたという。

 あのころから「競馬にできること」を考えるようになった関係者は多いというし、私も、以前本稿に記したように、自分の「役割」を考えながら文章を書くようになった。

 しかし、まだ東北の被災地はもちろん、日本が復興したと思っている人はいないはずだ。

 去年、1週間弱のドバイ取材を終えて3月28日の夕方帰国したとき、出国前と状況があまり変わっていなかったので愕然とした。いつも帰りのリムジンでお台場のあたりを通るとき、ビル群の夜景を眺めて、

 ――やはり、こういう華やかな開発のされ方をしている日本はいいものだな。

 と思うのだが、このときはお台場付近を通ったことに気づかぬうちに羽田に着いた。まだ東京は暗かった。

 関東では4月23日からの東京開催が始まるまで、競馬が行われていなかった。戦時中の話などではなく、ついこの前のことだと思うと、「普通に競馬のある日々」を過ごしている「今」の価値が再認識され、余計に嬉しく感じられる。

 ドバイ取材が近づくと、いろいろなことが自然と思い出される。

 去年の今ごろか少し前、日本の航空会社のロシア人とアメリカ人パイロットが休暇をとっていた本国から日本に戻ることを拒否したため、一部の便が欠航したことがニュースになった。人の命を預かる仕事をしていたはずの者たちが、自分の命(というより健康か)だけを守ろうとし、同僚や顧客がいる場に戻ろうとしないというその神経が、私には理解できなかった。去年ドバイに発つときは、そういう連中と同じ理由で日本を出ると思われるのが嫌だったので、最寄り駅まで行く道でも、羽田空港への電車のなかでも、うつむき気味になってしまった。

 彼らに対して抱いた嫌悪感は、理詰めで考えるとおかしいのかもしれない。しかし、私は何かに向き合ったとき、自分のなかから最初にわき上がってくるもの(=感情)こそ自分の個性を形作るものだと考え、大切にしている。放射能(の風評)から逃げる彼らの心情を理解することより、「日本が好きだ」と意識的にも無意識的にも思っている自分から自然と吹き出てくる感情が、「私にとって」は何より正しいものだと思っている。

 今年は高松宮記念の翌日、26日夜の便でドバイに発つ。

 去年のヴィクトによる快挙は、ある意味サプライズだった。今年のスマートファルコン、トランセンド、そしてエイシンフラッシュには、「世界レベルの安定勢力」として、日本の底力を見せてほしいと思う。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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