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ドバイでの忘れられないシーン

  • 2012年04月07日(土) 12時00分
 先月末から今月頭にかけて6泊9日に及んだドバイ取材を思い返してみて、パッと思い浮かぶのは――。

 スタンド前からの発走となったドバイワールドカップで、ハナを切ると思われたスマートファルコンではない馬が先頭で眼前を駆け抜け、1コーナーに向かって行ったシーンである。

 昨年のヴィクワールピサにつづき、日本馬による連覇をなし遂げるとしたらこの馬だと目されていたスマートファルコンであったが、ゲートを出て2歩目で滑ってつまずき、先手をとることができなかった。

「速さが災いしたかな」と武豊騎手。スピードがあるがゆえに、つまり、かき込みが速すぎるがゆえにオイリーなタペタで滑ってしまったのだろう。逃げて9連勝していたこの馬のレースは、実質的にそこで終わってしまった。

 卓越したスピードと、前に行こうとする溢れんばかりの闘志が噛み合えば凄まじい力になるのだが、今回のように空転してしまうと、待っているのは厳しい結果である。13頭中10着。突出した強さで日本のダート界に君臨するこの馬の力はそんなものではない、と言いたいが、結果は結果として受けとめなければならない。

 こういうことがあるのが競馬だ。噛み合えば世界最強かもしれないのだから、空転しないようにするにはどうしたらいいのかを(これは「タペタ対策」ということになるのだろうが)、もっと神経質なまでに考えるべきだったように思う。あくまでも結果論だが、一度実戦でタペタを経験し、悪いところ、危ないところをあぶり出しておくことができれば違ったのではないか。馬だって滑って危ない思いをするのは嫌なはずだから、ゲートを経験することで脚の出し方を学習できたはずだ。そうして本番で自分のレースをすることができれば、勝ったとしても、差されたとしても、もっと納得できる結果になっていただろう。

 まあ、ただ、90年代のダンスパートナーのフランス遠征がそうだったように、トライアルのほうが体調がよくて、本番では下降気味になってしまうこともあるのが海外遠征の難しいところだ。簡単に、選択したのとは違う方法のほうがベターだったのでは、と言うべきではないのかもしれない。

 結局のところ、いろいろな馬によるいろいろな形の遠征を繰り返していくしかない、ということなのだろう。

 去年のドバイで、日本の人馬は、力を合わせて絶妙のタイミングでジャンプすれば世界の頂点に手が届くことが証明された。が、跳び上がらずに、ただ立ったまま手を伸ばしてもとうていそこには手が届かないという現実を、今回の遠征で突きつけられた。

 世界の頂点は近くて遠い。いや、近いようで遠い。けれども、どうやれば到達できるか、道筋は見えている。

 さて、スマートファルコンがハナを切れなかったシーンの次に私がよく思い出すのは、第3レースとして組まれていたドバイゴールドカップのシーンである。芝3200mの長丁場であるこのレースには、日本馬7頭の先陣を切ってマカニビスティーが出走した。

「みんなより長く乗れるから、そのぶん楽しんできます」と小牧太騎手は、まだ日中の暑さが残るパドックで笑顔を見せた。

「そうだな、これが1000mの直線だったら楽しむ暇なんてないものな」と矢作芳人調教師。

 マカニはハナを切って快調に飛ばしていたが、1周目の直線でUAEのフォックスハントが競走中止となり動かせなくなったため、レースがかなり進んだところで不成立となった。

 レース不成立を知った騎手たちが次々と手綱を引いて競馬をやめるなか、ハナを切っていた小牧騎手は気づかないのではと心配されたが、他馬にそれほど遅れることなく手綱を引いてマカニを止めた。

 後ろの騎手が声をかけてくれたからわかったのかと思ったら、そうではなく、並走車のスタッフに手で制止されたとのことだった。

――おれ、何かやらかしたのかな。

 最初はそう思って不安になったようだが、そうではないことを知ってほっとしたという。

 ドバイワールドカップのあと、午後10時25分から再レースとなったこのレースには、フォックスハント以外のすべての馬(12頭)が出走してきた。

「なんか変な感じだなあ。まさか自分が最終レースに乗るとは思わなかった」

 苦笑する小牧騎手に矢作師がかけたひと言目がふるっていた。

「飲んでない?」

 現地入りしてからタペタでの調教で爪をいためていたマカニは、追い切りができないままここに臨んでいた。

「最初のレースでは、馬が返し馬のときから怒っていて、ゲートを出てからも反応がすごくよかったんです」

 そう小牧騎手が言えば、矢作師はこう返した。

「追い切りができなかったから、さっきのがちょうどいい追い切りになったな」

 結果は、ゴールまでたどり着いた馬のなかでは最下位の10着だったが、「2回も乗せてもらってありがたいです」という小牧騎手の言葉が、とても印象深かった。

 その一方、再レースでグランヴァン、ブロンズキャノンの2頭が競走中止となり、安楽死処分となった。

 再レースとして思い出されるのは、メイショウサムソンが凱旋門賞に出走した2008年10月5日、芝の直線1000mで行われたアベイドロンシャン賞だ。ゲートがあかずスタートできなかった馬がいたため、ドバイゴールドカップ同様不成立となり、最終レース後に再レースが行われた。ただ、ドバイゴールドカップと違ったのは、最初のレースが不成立になったことに気づかなかった騎手が最後まで走らせた馬がいたことと、そこで1位入線した馬を含む数頭が再レースに出走しなかったことだ。

 ドバイでの再レースに関しては賛否両論あるだろうが、主催者の判断としてはやむを得なかったのではないか。

「これも競馬だ」などと言うつもりはない。が、こういうレースがあったことを、私はずっと忘れないと思う。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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